昨冬は大変な大雪で、我が家でもいささかのあいだ雪下ろしを怠けたばかりに、カーポートの合成樹脂製の屋根が完全に壊れてしまった。
北海道で暮らす者にとって、除雪や雪下ろしは時間のかかる大変な重労働である。吹雪、雪崩、落雪の際には、雪はまさに我々の生死を左右するものといっていい。
私の義父は、道北の雪深い町の旅館の次男として生まれ、社会に出てから文部省技官を振り出しに、建築士として北海道の建築に生涯をささげたが、亡くなる年に自分の手掛けた建築年譜を兼ねた小冊子「人間生活の容器建築の原点」を自費出版した。その中の一章「雪と建築」の中で「雪は保温材である」という題名で、昭和25年、北大工学部の某教授が行った積雪ゼロの帯広駅構内と帯広市郊外の山間部の積雪地帯での凍結深度の測定の比較実験について述べている。この実験では、地下の凍結深度にたいへんな差があり、積雪地帯では60糎と積雪のない地と比較し、凍結深度は半分であったことを記している。大地にとって雪は天然の布団の役目を果たしていることになる。
積雪地帯北海道の建築物(それも主に公共建造物)の建築設計にたずさわってきた義父にとって、雪は真正面から取り組まなければならない対象であったのだろう。さらに「雪は下から降る」「雪荷重の恐ろしさ」の短文でも、建築物と雪との関係について記述している。
北海道開拓使が置かれ、私たちの先祖が定住するようになってから150年余りがたち、板葺き掘立小屋の住宅から、現在では寒冷地住宅の技術研究が進歩して、我々は快適な温かい冬を過ごせるようになった。多くの先輩建築技術者の努力に、我々は感謝しなければならない。
住宅など我々の冬の生活環境に限り、「降る雪や明治は遠くなりにけり」(草田男)である。
道市などの関係諸官庁には、北国の冬を快適に暮らせるように、大雪にもダウンしない万全の除排雪体制の確立や融雪溝の整備を期待することはもちろんである。
しかし私たちも、積雪地帯のこの大地を自然より借りて住まわざるを得ない人間として、雪を私たちの生活や健康や精神の保温材として生かせるように、知恵と工夫をめぐらさなければならないと思う。