ウェブマガジン カムイミンタラ

1996年11月号/第77号  [ずいそう]    

地域に根ざした大学
中嶋 信 (なかじま まこと ・ 徳島大学教授)

大学の敷居は概して高い。「象牙の塔」とまでは言わないにしろ、庶民には縁が薄い。その反省もあって、市民に開かれた大学への動きがある。市民講座や施設公開などが主なメニューで、大学「開放」と総称されている。欧米の大学のextension制度を翻訳・導入したものだ。直訳は「拡張」「延長」だが、大学の機能を市民に開くので「開放」が用いられている。

さて、「大学開放」の姿は一様でない。先進国アメリカの例を見よう。ワシントン州立大学はextensionのために110人の研究員、220人の郡配置専門官、170人の職員を当てている(1993年)。地域の複雑な要請に、研究・教育の成果で応える強力な体制だ。この規模になると「開放」より、大学の「普及」活動と呼ぶべきだろう。普及の課題も、家族・青年の能力養成、食料の安全と健康、地域社会と産業の活力、など多彩である。普及部門の手に余る場合には、大学本校の8つの学部が支援する仕組みもできている。

大学の普及センターには地域の団体や個人からの相談が頻繁にあり、民間の資金援助も少なくない。さらに、大学の普及計画の実施に際して、連邦政府・州政府・郡政府が緊密に連携している。このため「協同普及計画」の語が使われ、大学による一方的な対外サービス活動と区別している。まさに「地域に根ざした大学」の姿を見る思いがする。

確かに、これは特例である。だが、こんな大学があることは歓迎すべきだろう。ひとつには普及活動の重要さ。地域の現実の課題と無縁な研究・教育であっては困る。次には大学の多様な機能への期待。それぞれの大学は異なった存在意義を主張してよいはずだ。研究や教育の質だけでなく、地域への貢献も重要である。学問至上主義で軽視されがちだが、この2点で「地域に根ざした大学」が必要である。もちろん、その動きは日本にもある。たとえば、地域研究所を持つ市立名寄短大はそのひとつの例だ。この小文のタイトルは、同短大の文書から借用したものである。

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