ウェブマガジン カムイミンタラ

1997年01月号/第78号  [ずいそう]    

無言のコミュニケーション
市川 唯行 (いちかわ ただゆき ・ (株)イー・シー代表取締役社長)

デパートの入り口や、地下道、ホテルの入り口を出入りするときに、近ごろ、気になって仕方がないことがある。

回転ドアを手で押し開け、自分が通ってしまったら、後方から誰か続いて人が来ているか振り返って確かめることもなく、ドアにかかった手を思いっきり離すものだから、次に来る人の顔前でバターンとドアが閉じてしまう。逆に、後ろから来る人のためにドアを押さえて待っていると、スルリと横を抜けて、挨拶はもちろん、顔を見ることもなく自分だけさっさと通り過ぎてゆく人もある。

“ちょっと待ってくれ”。日本はいつからこの種の人が多い国になってしまったのだ。何かが、おかしくなってきているのではないか。

日本人は、たしかに言葉によるコミュニケーションのとり方が上手な国民ではないかもしれないが、こんな心の温かさのない人間ではなかったはずだ。細やかな心遣いや、気配りはもっとできていたのではないか。言外の意味や、所作の余韻をもっと理解し、お互いの心の温かさを感ずることができていたのではないか。

こんな悲しい現実の予兆は、たしかに、もうずっと前から始まっていたような気がする。かなり前から、日本人の顔が男も女も無感動になってきている。いわゆる“ブー顔”がとても多くなってきているのだ。公共乗り物の中の顔。どうして、みんなあんな不快そうな顔になってしまったんだ。あの無言の顔が、あらゆる事をまわりの人に伝えていることに気がついているのだろうか。そして、この無言の顔は、言葉によるコミュニケーションよりも、その人の心の中を、時にはより正確に表している。言葉ではどんな言い訳もできるが、顔によるコミュニケーションは、一瞬にして言い訳のできないメッセージを人に与えてしまう、とても恐ろしい手段なのだ。そして、与えたメッセージの強力さに本人がほとんど気づいていない。

外国人採用面接の時も、まったく同様だ。どんな優秀な学歴と、きれいな英語で売り込んできても、伝わってくる無言のメッセージの方を信じていれば、間違いが少ない。これはユニバーサルなものだと、固く信じている。

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