ウェブマガジン カムイミンタラ

1997年01月号/第78号  [ずいそう]    

生地と仕立てと着こなしと、心を
安斎 奈々見 (あんざい ななみ ・ 札幌大谷短期大学教授 声楽家)

私自身の日々の仕事柄、何をさておいても関わる若人・生徒達の人間としての成長を願わずには居られない毎日である。しかしその願いの前に、職業人として(私を含め)教師自身の指導力が問われなければなるまい。まず出会った素材・資質への判断力が不可欠であろう(沢山の症例を持つベテランと言われる医師に類似点があるやもしれない)。

互いが人間、相性・好みなど異文化との出会いがフィットするのは、礼儀の文化がベースに無い場合は難しい事と私は思う。(ベテラン医師との違いは、レントゲンや採血検査などの代りに思考・心・愛の定義哲学が必要不可欠のものとして、全面に人間そのものが出ることである)。

『三っ子の魂…?何とか』と私たちはよく言われて育ったけれど、言われた時はとうの昔に、その年齢は過ぎていて言われる子供の私は愉快ではなかったように思う。男女双方共、母親・女性から生れ、社会通念では女性がその大半と言うか全ての育児に関わる事となろう。『神は常に平等』『子供はみな天才』『子供は両親の作った最高の芸術品!』が常々の私の持論であるが(子供の無い私ゆえに無責任に)、人間像の未来に夢を持ち、限りなく理想を託して『お父さん! お母さん! よろしく!』と、願い叫びたい。

教育=共育でありたいものと限りなく切望する日常の私である。親子、教師・生徒共々、「常識」「知識」「感」を育て続けて欲しいと願う。そして日々、応用問題に強くなりたいものである。(この世のものは、瞬時にして全て変るのだから)。

『カムイミンタラ』とは、「神々の遊ぶ庭」「大雪山」の意との説明が表紙裏にある。「大雪山」は、近くも遠くも美しい! そして人々の中に居る神様はいろいろのようだが、神の居ない人はいるのだろうか、神と遊べる私になれたら、どんなに嬉しいことだろう。

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