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1997年03月号/第79号  [特集]    

研究者と実務家が 民主主義の理論に基づく地方自治をめざして研修を重ねる
札幌地方自治法研究会

  中央省庁と高級官僚による不祥事、全国的な地方自治体の不正経理問題などが相次いで、公務員に対する不信感やあり方が問われています。また、米軍基地問題での沖縄県民投票、原発問題での新潟県巻(まき)町の住民投票、道内でも矢臼別の米軍演習地問題、千歳川放水路問題等々、政策決定にいま以上の住民参加を求める動きが出ています。そんななかで、昨年暮れに前鷹栖(たかす)町長の小林勝彦さんが北海道から参加している地方分権推進委員会(総理府内に設置された第三者機関)によって『分権社会の創造』と題する第一次勧告が提出されたこともあり、地方自治に対する関心が高まっています。しかし、その9年も前から地方自治について「法務」をベースにした勉強と、自治体職員の資質向上をめざして研修を積み重ねていたグループがありました。それが、札幌地方自治法研究会です。

地方自治法の施行50年、分権時代の元年となるか

イメージ(オープンな雰囲気で開かれている「月例会」)
オープンな雰囲気で開かれている「月例会」

ことしは、日本国憲法が施行されて50年を迎える年にあたります。その憲法では、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重などについで、民主主義の精神にそった地方自治の原則や権能などを第8章で4つの条項によって定め、さらに地方自治法で“地方の政府”である都道府県や市町村の自主・自立性ある業務の執行と、住民参加によって私たちの身近な暮らしは築かれ、守られることを定めています。しかし、地方自治体の仕事の7割は、知事や市町村長その他の執行機関に国から委任された事務(機関委任事務)の執行にあてられ、地方自治体本来の主体的・自主・自立の業務は3割しかないという状態です。地方交付税など自主財源も乏しく、地方自治体は「3割自治」といわれながら、強固な中央集権の下で憲法の精神が生かせないまま50年を過ごしてしまったのです。

「日本の地方自治体の首長以下、三役などの幹部職員で、地方自治とは何かを住民の前でわかりやすく、自分の言葉で話して聞かせることができる人が何人いるでしょうか。それは、地方自治あるいは自治体職員にとって原点の問題なのですが…」と、北海道大学法学部教授で行政法などを専攻している木佐(きさ)茂男(46)さんは憂えます。

イメージ(代表者の木佐茂男教授)
代表者の木佐茂男教授

「地方自治の問題の究極は、民主主義の問題なのです。地方自治がなぜ大切か。それは、基本的人権をきちっと守って人間らしい生活をするための仕組みとして自治体があるのだという、そのあたりまえのことを、自治体職員は自分の言葉で説明できるようであってほしい」と木佐さんは強調しますが、最近、ようやくそのことの大切さを意識されはじめるようになりました。

「地方分権が実施されて、国がもっていた権限が地方自治体に移ってくると右往左往しそうなので、突然、自治体としても法的な思考が大事なのだということを意識しはじめたという感じがします。また、基本的人権にしても民主主義のことにしても、それらは法的なルールによって守らなければならないということをあまりにもズサンにしてきたので、いまになって意識せざるを得なくなってきたのでしょう」。

木佐さんは、そのことの大切さを早くから感じて、自治体職員と一緒に、毎月勉強会を開いてきました。それが『札幌地方自治法研究会』(〒060札幌市北区北9条西7丁目、北海道大学法学部行政法研究室内 TEL:011-706-3151)です。

判例研究と読書会で自治体職員が学びあう

木佐さんがドイツ・ミュンヘン大学で2年間の留学を終えて帰国した翌年の1988年夏、恵庭市役所の中島興世さん(現農政課長=50)や札幌市交通局の田中孝男さん(現経営計画課計画係長=33)らが、地域をこえ、広く勉強する場を求めて集まりました。

イメージ(田中孝男さん)
田中孝男さん

「中島さんは、当時、恵庭市でまちおこしの先駆的な活動をしていた人です。私は大学生のころから同じ大学法学部の先輩として存じあげており、役所に勤めるようになってからもコンタクトがとれたので、よく、自治体職員の立場から地域活動のあり方などについて話をする機会がありました。10年前のまちおこしといえば“一村一品運動”が中心的に語られ、ともすれば運動論的に流れがちでした。そんななかで、自治体職員としてわれわれは腰を落ち着けて勉強しようということになり、行政法学、とくに地方自治に関心の高い木佐先生にお声をかけ、実質的な代表になってもらって発足したのです」と、田中さんは当時をふり返ります。中島さんは意識のある自治体職員などへの勧誘役、田中さんは事務局的な役割を引き受けて、案内状の発送や名簿づくりをしながらのスタートでした。

イメージ(毎月の例会では、法務の理念と実務体験をめぐって活発な議論が)
毎月の例会では、法務の理念と実務体験をめぐって活発な議論が

「コンセプトは、月に1回は集まろう。そして、行政法や自治体関連法規の判例研究を第1部に、第2部は地方自治に関連する本の読書会をしようということでした」と田中さん。

「この研究会はアメーバみたいな組織で、正式な会員という概念のないのが、おもしろいところです。自分が会員だと思う人は年会費1,000円を収めてくださる。たぶん、会費は20数人から集まっていると思いますよ」と木佐さん。

イメージ(ことし1月の例会は「分権・自治を考える北海道ジャーナリストの会」が主催した『地方分権を考えるフォーラム』に参加)
ことし1月の例会は「分権・自治を考える北海道ジャーナリストの会」が主催した『地方分権を考えるフォーラム』に参加

しかし、発足当時も道庁、札幌市役所、札幌近郊の自治体から志ある職員が、ときには数10人も集まり、大学からは木佐さんと、当時は札幌学院大学助教授だった白藤博行さん(現専修大学教授)、それに大学院生たちが興味あるテーマによって参加していました。

「会のネーミングに迷いましてね。結局『札幌地方自治法研究会』としたのですが、もっとよい名前はないかと、2年間くらい(仮称)を付けて名のっていました。いまなら迷わず『北海道自治体法務研究会』だと思うのですが…」と木佐さんは笑います。

研究者に実務のフィールドを 実務者には理論の勉強を

イメージ(昨年夏、千葉市で島根県、愛知県、新潟県、その他の県下市町村の職員が集まって開かれた第2回合同研究会)
昨年夏、千葉市で島根県、愛知県、新潟県、その他の県下市町村の職員が集まって開かれた第2回合同研究会

「発足の具体的な理由には、行政の現場をきちっと“理屈”で見なければいけないということがありました。いまは、とかく“なあなあ主義”がまかり通る、理屈抜きの世界ですね。それを、もう少し理論の世界、理屈が通る世界に進めなくてはいけない。だから、自治体の仕事に対しても筋道を立てて考えるために、判例を素材にして勉強してみようということでした」と木佐さんは話します。

「研究者は、理論は知っているが実務の現状を知らない。実務家は法制の仕事を実務でやっているが、その制度をつくったり改正したときの理念などは、大学で勉強したとしても、年数がたっているためほとんど忘れているんです。また、新しい時代の理論について行くのもたいへんなんです。そんなことを学者と実務家のあいだで補いながら、たがいに向上しあおうという雰囲気がありました。その魅力で入会した人も多いと思いますよ」と、北海道庁のあるベテラン職員は言います。

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判例研究では、ある事件があって、立場や考え方の違いから訴訟となり、裁判官が判決をだす。それが、事実関係と法解釈の点から妥当だったか。現実を知らなすぎないか。あるいは、行政にとって実務上困る結論から、控訴審までやってほしい。最高裁の結論が聞きたい―など、地味ではあっても、議論は白熱することも多いとのことです。

この研究会では、いま全国的な問題となっている役所の“食糧費”の問題も、自治体職員にとっては関心のあるテーマとして発足当初から検討していました。すでに「1人2万円まではよろしい」という最高裁の判例が出ていたこともあって、道内でも食糧費や出張費がまちまちに支出されていることなどを勉強していました。

道内から全国に広げた自治体法務のレベル調査

1987年にできた全国規模の『自治体学会』では、研究会のメンバーが91年以降、毎年のように参加して研究発表をしています。ある年、田中さんは、バブル景気のさなかにゴルフ場規制の判例研究を発表して、北海道の研究レベルの高さが注目されました。

そんなこともあって、92年ごろ、学生向けの雑誌『法学セミナー』が「行政法が現場でどう活きているか」をテーマにした30ページほどの特集を組むので、研究会が全面的に担当してほしいと依頼されました。

地方分権の到来を予測して、自治体が政策を考えて執行していく場合、その政策に強制力の裏打ちをするためには、地方議会で条例や規則をつくってもらわなければなりません。すると、そのための技術的な能力を自治体職員は養う必要があります。その能力や知識が自治体現場でどれくらいのレベルにあるか、全道212市町村のすべての法務部門に向けてアンケート調査をおこないました。

まとめた結果について、田中さんは「やはり、自治体法務についての実態は充実しているとはいえず、職員の能力、組織機構、仕事の仕方などに課題のあることがわかりました」と言います。

すると、北海道だけの調査では“井の中の蛙”になるという声がメンバーの中から持ち上がり、こんどは全国に広げて調査することになりました。地域性の実情を把握するために、首都圏に近い都市型の埼玉県・神奈川県下の市町村と大阪府下の市町村、地方型として島根県と佐賀県、それに北海道を加えて、約450の市町村を対象にアンケート調査をおこなったのです。

「郵便で返送されてくる回答用紙を整理して、まとめていく。数が多いうえ、みんな手弁当のボランティアですから、時間はかかりましたが、苦労にかわるだけの貴重な成果は得られました」と田中さんはふり返ります。この調査でわかったのは、武蔵野市のように、国の施策に対抗できるだけの理論武装をして政策形成をしている自治体がある一方、自治体職員の理詰めで考えていく能力は、決して高いレベルにないこと、都市型と地方型の差などもクローズアップされました。

職員の資質向上のために法務入門書づくりに挑戦

「自治体法務以前のことがあまりに多すぎます。現場の自治体職員はほとんど研修をうけていませんし、法的な素養も少ないのです。いまの役所の風土では、100人の職員の中で問題意識を持っている人は、低くみて2~3人。それを少ないと見るか妥当と見るかは別にしても、その人を育てる土壌もなく、指導者もいないというのが現状です。ですから、行政は法律にしたがっておこなわれているはずなのに、実際には、大部分の職員は『六法全書』などをほとんど見ることはない。例規集も見ることは少ない。では、何を見て仕事をしているかといえば、マニュアルです。そのマニュアルをよく分析してみると、法的にはほとんど無価値な行政規則や訓令・通達の類だったりするのです」と木佐さんは指摘します。

「そこで、次の段階として考えたのは、そのようなレベルをどのようにして底上げしたらよいかということでした」と、アンケート調査から派生し、波のようなうねりをみせて、あるテーマが浮かびあがってきたことを田中さんは語りだしました。

「自治体職員の自習書、教科書を自分たちで作ろうということになったのです。国の役人が著した注釈書ではないもの。一部学者が反権力的な立場で書いたような、現場から離れた空理空論の書ではないもの。つまり、実務初任者が理詰めの思考能力をボトムアップするためのテキストを、自分たちで書こうということなのです。従来のおもしろ味のない目次ではなく、役所の掟に染まらず、市民的な発想に立って物事の事務処理ができるように法を運用していく。そんな視点にたったコンセプトで作成しているのです」。

この教科書づくりはまったくモデルがないため、試行錯誤の連続だといいます。しかし、すでに担当したメンバーの大半の原稿はできあがっており、『自治体法務入門』というタイトルで、夏までには東京の出版社から刊行される予定です。

もうひとつは、地方自治法研究会のメンバーから派生した『比較自治研究会』の活動があります。このグループは、かつて木佐さんも執筆した世界の先進20カ国の地方自治を比較研究した英語の書籍があり、これを10カ国ずつ2分冊で日本語に翻訳する作業を94年、95年に完成させました。ドイツの出版社から、自分たちの研究用に頒布するだけの本にするとの許可を得て作った仮製本書ですが、これに注目した日本の出版社が、ドイツからの版権は取ったから研究者向けの専門書として出版したいと申し出てきて、現在は校閲、監修などの作業に取り組み、年内に刊行される予定です。

全道各地に広がる自治体職員の自主的な研修

このところ中央・地方を問わず、一連の不正事件の発生で公務員に対する評価はきびしいのですが、その一方で公務員の資質向上をめざす自主的な研修グループは、点から面への広がりをみせて、その数を増しています。

全国的な自治体学会と緊密なつながりを持つ北海道自治体学会。恵庭市の職員による「まちづくり研究会」、南幌町教育委員会の嶋田浩彦さん(社会教育係長)が代表の「道央圏町村職員政策研究会」。名寄市・士別市・風連町などの職員がかなり早い段階から集まっていた「天塩川塾」。さらに北見・網走地区、釧路・根室地区のほか、白老町、登別市、ニセコ町、厚田村等々の市町村職員も活発な自主的な研修活動をおこなっています。その多くは、札幌地方自治法研究会の勉強会に参加して問題意識を高めた人たちです。

北海道大学法学部と北海道町村会が協力して、「地方自治土曜講座」が95年からはじまりました。これには北大法学部教授の神原勝、森啓(けい)、山口二郎のみなさんと木佐さんが協力。1年目は、100人ほどが集まればとの期待を大幅に上回る350人が。昨年は500人と予想したところへ870人が参加するという盛況ぶりでした。

また、札幌地方自治法研究会は、1995年に千葉県、神奈川県の市町村、川崎市などの職員とともに約50人が参加して、ニセコ町で合宿研究会を開きました。昨年は千葉市で開き、島根、新潟、山梨、愛知など各県下の自治体が参加して、ミニ学会の感じでした。第3回は新潟県新井市で、ことし7月に開催の予定です。

主権在民のルールが生きる社会づくりをめざして

イメージ(嶋田浩彦さん)
嶋田浩彦さん

「いま、自治体職員のいろいろな研究会やサークルが全道各地にできており、なかには市民の共同参加で研修しているところも出てきています。こうした職員の自主研修は、いままでは国の委託業務をどのように執行するかを勉強する範囲でしたが、いまは自分たちのまちを自分たちでどのようにつくるかという政策部門の勉強が多くなっています。その政策も、これまでは首長のアイデア的なもので勝負してきましたが、ここでは民主主義のルールのなかで自治そのものがどうなのかという問い直しをして、職員が政策やその他の物事を法務的な目で見たり考えるようになってきています。そこにうまれたのが『自治体法務』という理論です。それは直接実務に結びついていますし、自治体職員の生き方、生活観にまで結びつけていこうとする、それが大きな流れとなってきています」と嶋田さん(44)は話します。では、自治体法務とは何かと問うと、嶋田さんは即座に答えます。

「実務の執行、政策づくりを含めて、自治体が地域の人に対して何かをしようとするときは、すべてルールがあります。地域の人はそのことによって利益を享受し、被害や不利益をうけたときは、そのルールに乗って自治体にものが言えることです。ですから、自治体法務とは“民主主義のルールを推し進めていくこと”なのです」。

法治主義や理詰めで決定される社会は、冷徹に陥らないだろうかという不安もありますし、最近は日本的な“なあなあ主義”や“まあまあ主義”の決着の仕方が世界的に注目されているともいわれます。

「しかし、これまでの日本はあまりにも法的・理論的には“放置国家”でありすぎました。だから住専問題をはじめ、手の施しようもない事件が噴出するのです」と木佐さんは強調します。そして嶋田さんは、

「法は、自分たちが社会の中で生きるために守るべき、最低の基準ですよね。そして、法律は自分たちの合意で決めるものですから、それを運用するのも、変更するのも、自分たちが議論を重ねたうえでの合意形成によっておこなわれるべきものです。ところが、これまでは一方的に国や自治体が押し付けることが多かったのです」。

自治体のすべての施策や業務は、必ず法に基づいて執行されます。しかし、その法は住民自身のものであり、住民が主役の地方自治はその法務によって遂行されるのです。木佐さんと研究会のみなさんは、そんな主権在民の基本的なルールがあたりまえに生かされる社会づくりをめざして毎月の例会に集まり、研鑽(けんさん)を積んでいるのです。

みずから考え、発信できる資質を 地域の人と一緒に進む地方自治

ニセコ町長 逢坂 誠二(おおさか せいじ)さん(37)

高校生のとき、将来の進路を考えるにあたって、じつは法学部への受験は自分の選択肢から除外し、薬学部へと進みました。その理由は、法学は現在起こった現象についての判断はするが、事前にいろいろな手立てをする学問ではない。また、日本の大学の法学部の中で立法過程や政策について研究しているところもない―と、とても狭いとらえ方をしていたのです。

その考えは、役場の職員になってからもしばらくは変わりませんでした。そればかりか、公務員の有様についても、形式主義、前例踏襲主義、そして融通性がない、などと世間で指摘される評価はそのとおりだな、と思っていました。そして、ある時期から、このままでは本当にどうしようもないな、と思い始めるようになりました。

そのきっかけとなったのは、1988年からはじまった「ふるさと創生・1億円事業」でした。あの時、全国3200の自治体は、そのお金の使い道についていろいろ考えました。その考える仕方が、住民参加の形をとってたいへん一生懸命な町村、トップダウンで簡単に決定した町村、なかなか決められなかった町村など千差万別だったのです。

これは、えらいことだと思いました。すごくレベルの高いことをたくさん実行している町村がある一方で、創造的な事は何もできない町村がある。それは結局、自治職員の資質の差によるものではないか。このままではいけない。私も法律のことは知らないし、行政の世界についても詳しくはないので、自分なりに何か勉強したいと思って「自治体学会」などに参加しました。そして、1992年ごろに木佐先生とお会いし、「地方自治法研究会」にも参加するようになったのです。

イメージ(本音も飛び交い、和気あいあいの忘年会)
本音も飛び交い、和気あいあいの忘年会

それにしても、判例や法律の条文の話を聞いていても、専門的な知識がないのでよく分からないのです。しかし、みんなの議論の中に参加していると、自分なりの問題意識を持つようになり、これからの公務員はどうあるべきかを、みんなで話し合い、考えていくことの必要性を感じるようになりました。そして94年に「町民とともに考え、行動できる自治体」をめざして、町長選挙に立候補することになったのです。

いま、地方分権の必要性がいわれています。地方分権推進委員会の第1次勧告の内容も大事なことに違いありませんが、あの内容だけで、目指す地方分権の姿は得られるとは思えませんし、現在とあまり変わらないのではないかという危惧さえ感じます。

では、何が、どのように変わらなければならないかといえば、私たち地方自治体職員、そして地域住民自身の意識がもっとも変わらなければならないのです。私たちは、自分の住んでいるまちを、どんな地域にしたいのか。どんなやり方をしてこの町を良くするのかを、自分たちで決定していく。それは、権限や財源が与えられてもできることではありません。私たちは、考えることができる資質を高めると同時に、考えることのできる仕組みを持たなければなりません。地方分権は、地方の側が“受け”の姿勢のままで進めてはいけないのです。

私は、黒澤明監督の映画「生きる」のビデオテープを町長室の書棚に置いています。皆さんもご存知でしょうが、ある市役所の職員が癌(ガン)の宣告を受けて、自分の生き方はどうだったのだろうと考える。そんなとき、所得階層の低い地区のお母さんから「児童公園をつくって」という要望を受け、はじめて役人が市民のために働きはじめるのです。しかし、いざやりだしてみると、市役所は縦割りで固まり、仕事はおざなりに決裁され、市民の要望はいくつもの課をたらい回しされる、そんなシーンが出てきます。40年前の映画が、現在の役所の仕事振りをそのままに描きだしているのです。

行政は、その責任領域として何をすべきか、現在の仕事が本当に市民の求める形でやれているか、そのことをしっかり考えることができる組織にしようと思っています。それは日常の職務から作り上げていくことが大切です。地域の人とともに地方自治を考えていく。胸襟を開いて語りあい、行動していくことだと思っています。

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