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1997年03月号/第79号  [ずいそう]    

親爺の後ろ姿
加藤 信吉 (かとう しんきち ・ 北海道中央バス(株)最高顧問)

私の祖父は、石川県から明治の初期に渡道し、札幌で木材業を営み、一代で財を築きあげた厳しい人物だったときく。その次男として生まれた私の父は、本家の嫡男である兄を扶け、裏方の苦労を重ねていた。しかし、ぼんぼんの例にもれず、好人物の兄は仕事を帳場にまかせ、遊蕩に身をくずし、多くの借財を残して没落した。兄の借金の連帯保証をしていた父は、長年にわたり苦しめられることになった。

木材業に見切りをつけて、幾多の困難の末、友人3人と共に、札幌駅から月寒間の乗合自動車を手がけ、後には数多くのバス路線事業をつくりあげた。戦時の統合により、21社が1つになり、現在の北海道中央バス株式会社になったのである。

しかし、当時は、ほとんどの車輛は木炭車ばかりであった。父は今から70年前の積丹岬までの危険な道なき路の路線づくり、また秘境といわれた道東の羅臼への路線づくりには、熊の出没に警戒し、大きなラッパを吹き鳴らしながら笹藪の中を歩きつづけるという、言語につくせぬ、まさに血の出るような苦労の連続だったのである。当時のことを知る人も少なくなったが、今もって想い出を共有する人が残っておられることは有難い。

私も、終戦後父に従い、バス燃料の木炭調達、資金のやりくり、冬期除雪対策、路線獲得等々、とにかくすべて身体を張って頑張ることを教えられた。統合後の会社運営の困難に向かって大変な苦労と努力を惜しまなかったその厳しい父の後ろ姿に無言の迫力を感じ、自(おの)ずと使命感に燃えたのである。

この父の教育と同時に、長年、共に苦労を重ねた人々との、はかりしれぬ切磋琢磨(せっさたくま)があってこそ、今日の会社が出来あがったものであるといっても、決して過言ではないといえる。父は常に、人に騙されても人を騙すなと言いつづけていた。思えば、築きあげたものを失う姿、家族の悲しみを身をもって経験した父と私は、家族に対し、また従業員一人ひとりの家族にまでおもい及んで、その責任の重大さに、常に緊張していたように思う。

時代は変わった。平和で、物資豊かといわれる現代、果たして親の後ろ姿は、子供たちの眼に、心にどのようにうつり、捉えられてゆくのであろうかと、感慨深く思う今日この頃である。

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