現代の輝ける文明の利器のひとつである自動車の大衆化がすすんだ1974年、市民の安全な歩行を侵害し、公害の発生源となっている自動車の社会的費用を具体的に算出した、宇沢弘文著『自動車の社会的費用』、(岩波新書)が刊行されました。そこには、シビル・ミニマム(市民の最低限の生活基準)の観点から、無制限に増大する自動車への批判と、あるべき交通の姿への主張が明確に述べられていました。
それから22年を経た昨年6月15日、警察庁が統計を取りはじめた1946年からの交通事故死者の累計が50万人を突破しました。この50年間、毎日27人が犠牲になった計算になります。とくに、死者数のピークを示したのは1970年で、死者は16,765人に及び、じつに1日平均46人の生命が失われたことになります。この年の負傷者は、98万1000人を超えていました。
その後、交通事故は減少傾向をみせ“省エネ”という言葉が流行語になった1979年は死者が8,466人にとどまりましたが、1988年からふたたび増加し、死者は8年連続で1万人台を超える状況がつづきました。昨年はようやく1万人台を下回り、警察庁資料で9,942人となっています。
ただ、交通事故死の統計には警察庁資料と厚生省資料があり、通常の警察庁資料は事故発生後24時間以内に死亡した人の数。厚生省資料は自動車事故を直接の原因として1年以内に死亡した人(後遺症によるを除く)の数で、警察庁資料の「24時間死者」の数よりもほぼ3割多い数字を示しています。
このうち1995年中に交通事故で死亡した人を状態別に見ると、総数10,679人(警察庁統計)のうち、歩行者が2,987人(28.0パーセント)、自転車乗車中が1,121人(10.5パーセント)で、両者を合わせると4,108人(38.5パーセント)となり、自動車乗車中の4,550人(42.6パーセント)に接近しています。
この4,108人のうち、子ども(17歳以下)は319人、お年寄りは2,230人に達します。交通事故に由来するあらゆる死者を計上すれば、それぞれ約450人、約3,120人に達します。
こうした道路交通の状況は、「交通弱者といわれる子どもやお年寄りなどの歩行者に毎年大きな犠牲を与えている危険な世界だ」と指摘するのが、『クルマ社会を問い直す会』代表の杉田聡(さとし)さん(事務局=帯広市南町南8西22杉田方 TEL:0155-48-7023)です。
杉田さんは、帯広畜産大学で哲学・倫理学を専攻する助教授ですが、今年中学3年生になった長男がヨチヨチ歩きをはじめたころいっしょに散歩に出てみて、すぐ脇を時速50キロ近いスピードで自動車が通り抜けていく日本の道路はたいへん危険な世界であることに気づきました。そして、クルマ優先の社会を根本から問い直す主張をはじめたのです。
「以前から、自動車が排気ガスや騒音を無制限にまき散らすのは問題だなという思いはありましたが、いざ幼い子の目の高さに立って自動車を見たとき、これは直接人の生命を奪う危険のある道具であることを痛切に感じました。幼い子は親の手を離れて自由に歩くことができません。ところが、その子が小学生になるとこんどは自分の判断で歩かなければなりません。それは子どもにとってたいへん危険なことであり、実際に毎年多くの子が犠牲になっているのです。こうした現実は、根本的におかしいのではないかと思いました」と語ります。
行動を起こしはじめたのは1984年からで、2年間は連日新聞投書をしました。しかし、掲載されるのは何通かに1回。それも、そこだけの話に終わりがちです。こんどはミニコミ誌を自費発行しました。そのうちに東京の出版社から本にしようという話が飛び込み、渡りに船とばかりに1冊目の『人にとってクルマとは何か』(大月書店)を刊行しました。つづいて『野蛮なクルマ社会』(北斗出版)、昨年Hには『クルマが優しくなるために』(ちくま新書)が刊行されましたが、この経過のなかで市民運動をつくろうということになり、『クルマ社会を問い直す会』を1995年に発足させたのです。
会員は約250人。北海道20人、東京・横浜圏に110人、大阪・京都圏に50人、そのほか沖縄までにおよび、大学の研究者、会社員、公務員、自営業、主婦など多彩。現在12人の世話人がいて、クルマ社会を変えるための提言をおこなったり、多様な活動団体に訴えをおこなったり、子どもを守るための各種大会で問題を提起したりしています。また、クルマ社会を問い直す初めての専門誌『脱クルマ21』(生活思想社)の拡販協力などもしています。
講演活動は、札幌に限っても1995年に市民団体・自由学校「遊」の講演や1996年の札幌でのシンポジウム、豊平区西岡その他での講演、そして今回の札幌講演会などをおこなっています。
杉田さんがとくに問題にしているのは、子どもとお年寄りの交通事故犠牲者の多さです。1995年に歩行中と自転車に乗っていて死傷した子どもは約5万8千人(15歳以下)、お年寄りは3万9千人でした。
「自動車の運動エネルギーは巨大ですから、子どもやお年寄りが自動車に接触すると固いアスファルトの路上に投げ出されます。すると、負傷の場合でもかなりの人は重傷を負ってしまいます。そういう事故が、毎日、全国のあちこちで2百数10件ずつ起きているのです。これでは、安心して道路を歩くことができません。これは異常なことです」と、杉田さんは語気を強めます。
「道は、本来、人と人とを結ぶコミュニケーションの場であり、家と作業場、家と家、集落と集落とを結んで安心して往来できる場でした。そこでは、かつて大人たちは立ち話をし、夏は路肩に縁台を出して将棋を楽しんだり、スイカを食べながら談笑している風景をよく見かけました。子どもたちにとっての道は最良の遊び場であり、学校の行き帰りに友達とはしゃぎあう場であり、草花を摘んだり、かくれんぼや石けりをしたり、道筋で作業をしている人の仕事ぶりなど、人びとのさまざまな生活を見て成長する場でもあったのです。そんな機能を担っている道が、いまでは10万人規模で怪我をする場所になっているので、親も学校も警察も“危険だから”と子どもを道路で遊ばせないようにする。したがって、道はクルマだけが排気ガスと騒音と振動をまき散らして通る空間になってしまったのです。あちこちにあった空き地も、駐車場や住宅になってしまいました。所々に児童公園はありますが、そこまで行く道の安全が確保されていないから、子どもは遊びに行くことができないという状況にあるのです」。
日本のモータリゼーションは、日産自動車が1959年に大衆車のダットサン・ブルーバードを発売したときからはじまるといわれています。それ以前から高度経済成長によって子どもの遊び場は減りはじめていましたが、そのころに比べても、モータリゼーションが完成された1970年の遊び場の総体は10分の1に、大都市圏では20分の1に減り、さらに20年後の1990年にはそれぞれ20分の1、40分の1にまで減少していると指摘する研究者の調査を示して、杉田さんはつづけます。
「子どもの死者は最近の20年間、たしかに減りつづけています。それは、子どもをとり巻く交通環境が改善されたり、安全運転が浸透したためではなく、彼らの遊び場が奪われ、自由に買い物にも行けないなど戸外での行動が狭められたからです。その代償によって、子どもたちの犠牲はかろうじて年間数百人の死者と数万人の負傷者という状況にとどまっているのです」と。
1995年現在の運転免許保有者は6,856万人で、免許が取得できる国民の1.5人に1人が保有していることになります。自動車の保有台数は8,266万台に達し、とくに乗用車は軽乗用車も含めて4,468万台に達して1世帯に1.3台、1家に2台という家庭が35パーセントを超えています。
自動車は(1)貨物輸送、乗用などさまざまな目的に利用できる汎用性に富み(2)小型ではあるが独立した乗り物である(3)個人所有ができ、ほとんどすべての人が容易に運転免許証を取得できる(4)道路さえあればドアからドアへ、どこへでも走行できる(5)時間表や運賃、天候なども気にせず、自分の好みに合わせて旅行ができる―などの便利さがあり、運転じたいが楽しいという利点も備えています。そのため、この30年間に目を見張るほど急速に大衆化が進みました。しかし、杉田さんは自動車のその特性にこそ問題点があると強調します。
「そもそもクルマはレールがありませんから、とても不安定な乗り物です。これは自動車の機械システムの特質です。おまけにそうしたクルマを、現在の社会システム下では100時間程度の教習を受けて免許を取っただけの素人が、仕事などのあいまに片手間に運転しています。職業としてのトラックやタクシーの運転手でも、安全運転に関する技能は一般の人と本質的に違いません。それなのに、クルマはすさまじい運動エネルギーを発揮して走ります。しかも電車のように隔離された特別な空間をではなく、子どもやお年寄りも歩く日常空間を走っています。こうした機械システムと社会システムを考えたら、交通事故の発生はほとんど不可避だと言わなければなりません。そこまで踏み込まなければ問題は見えてこないし、踏み込めば、いまのクルマ優先社会のあり方がおかしいことに気づくはずです。自動車産業は、たしかに日本の基幹産業として大きな経済発展をもたらしました。しかし、戦後50年間に50万人以上の死者を出し、いまもほぼ確実に年間1万人以上の人が生命を奪われ、100万人にも達する負傷者を出しつづけている問題の多い商品であることを、私たちは銘記しなければなりません」。
だからといって、杉田さんは自動車の利用を否定しているのではありません。これだけ多くの犠牲が生じる状況を変えるために、先に述べた社会および機械システムに根本的に問題があるという認識と、大胆な発想の対策が必要なことを主張しているのです。
「実際に歩行者の安全を確保するためには、人とクルマを完全に分けるか、運転者を専門的技能を持つプロに限るか、あるいは人を死傷させる可能性がないほどクルマのスピードを小さくするしかありません。しかし、現実の状況から出発するとなれば、まず子どもとお年寄りが日常生活している場所の人車分離を優先的に考えて安全を確保することからはじめるべきです。北海道の道路は広いほうですが、日本全体では90パーセントの道路に歩道がないのです。それだけに生活ゾーンは歩行者を優先し、基本的にはクルマは入れないという考え方を確立することが必要です。そうした発想は、すでに北欧やドイツなどで生まれています」。
それらの国では、運転者は不便になるけれども、生活ゾーンまで2、300メートルという距離なら駐車場を確保して目的の場所まで歩きます。もしも2、3キロと離れている場合は、生活ゾーンの近くまで公共交通が通っているので、それに乗って目的の場所に行く。つまり、マイカーを使わなくても社会生活ができるように、インフラを整備する努力がされているのです。
ヨーロッパでは、幹線と生活道路のあいだは、クルマが入っても歩行者が優先されるような道路づくりをしています。道を蛇行させたり、中央部にたとえばフラワーポットや植え込みなどを配置して通過道路にしない。交差点や横断歩道、あるいは直線300メートルごとにハンプ(こぶ=凸面)をつくってスピードが出せないようにする。道路だけでなく、その生活空間全面を『ゾーン30』と呼んで、時速30キロ以上のスピードが出せないようにするなど、さまざまな工夫をしています。
「もちろん、交通渋滞を起こさない配慮もしており、ハンプをつくるにも充分な交通調査をしながらすすめています。貨物輸送などの円滑化はできるだけトラック輸送に頼らず、その分は鉄道輸送を充実させるという考え方になってきています。日本のように交通動態の円滑化を第一優先にしている国は、もうヨーロッパでは珍しくなっているのです」と杉田さん。
「スイスは鉄道を大切にしている国です。トラックなら直線で運べる路線でも、あえて迂回(うかい)しても鉄道をつかっているほどです。むろん鉄道路線の増設にも努力しており、日本のように線路を引きはがしてトラック輸送に頼るようなことはしていません」。
「ヨーロッパは、いま“市電ルネッサンス”ですよ」と、杉田さんは都市内輸送に路面電車の復活が進んでいることを強調します。かなり以前に路面電車を廃止してしまったロンドンやフランスのいくつかの都市、自動車王国アメリカのロサンゼルスでも市電を復活させています。日本の広島市も市電を大切にしており、市電の路線にはクルマを入れないようにしています。そればかりか、1995年には全国路面電車サミットを主宰して、毎年6月10日を「路面電車の日」に制定したほどの熱の入れようです。
そうした状況を示しながら、札幌市でもかつて縮小した市電路線を拡充させようとする動きのあるのを歓迎しています。札幌のように中心街に人の流れが集中する街は、中心街に駐車場を確保してますますクルマを引き入れようとするのではなく、せめてパーク・アンド・ライド(公共交通のターミナルまではマイカーを利用し、その周辺に設けられた駐車場に駐車して公共交通に乗り継ぐ)システムを充実させることができないかと杉田さんは言います。そして、公共交通に対するヨーロッパの姿勢についても語ります。
「旧西ドイツの地下鉄で『みなさんは電車やバスを利用されていますが、これは環境保護(中略)の助けになります。このことに対し感謝いたします』という運輸大臣の広告を見たと友人が伝えてくれました。日本ニの違いを痛感させられます」と。
自動車の保有台数が、今後もマイカーの増加を中心に伸びつづけていくのは確実です。とくにアウトドア志向のレジャー活動の活発化、観光・リゾートへの積極的な参加は、マイカーの利用によっていっそう促進されます。もはや、マイカーという独立したプライベートな交通手段によって、家族だけで自由に選択した場所へ旅行できる便利さと楽しさを享受しようする人びとの欲求を阻止することはできません。しかし、そのことが途中にたいへんな交通渋滞を引き起こしていたり、自然志向のニーズの高まりにこたえて山間部の開発をすすめさせ、自然破壊にもつながっていくことの責任を忘れてはならないのです。では、どんな工夫が考えられるでしょうか。
「たとえば、ドイツではリゾート地までの鉄道輸送を充実させ、山に登るのにはケーブルカーを採用しています。日本人とまったく発想が違うのは、鉄道にもバスにもケーブルカーにも自転車を持ち込んでよいことです。もちろん、山中を自転車で楽しんでよいのです。それぞれの駅には貸自転車も用意されています。彼らにとって自転車は歩くのと同じことなのですね。ですから、リゾート地では自転車を自由に乗り回して長い休暇を思いきり楽しんでいます。一方、日本では鉄道やバスの衰退が著しいうえに、自転車利用の多様な可能性が理解されていません。どうもマイカー利用に頼る傾向があるようですが、せめて観光バスと自転車利用の促進をはかるべきではないでしょうか。また、休暇期間が短すぎるため、リゾートをプロセスから楽しむという余裕がつくれません。そのへんの課題を解決するためには、単に交通問題だけでなく、労働行政の問題にも踏み込んでいく必要があります」と語ります。
「自動車という、便利だが非常に不安定な道具、専門家ではない運転者が歩行者と同じ空間に共存していることの怖さ、交通の流れの円滑化を優先した道路行政などの問題点を追究していくと、残念ながらモラル教育では交通事故を防止できないことに気づきます。やはり、物理的な手段を講じなければ解決できません。世界的に見ても、イギリス、アメリカ、ニュージーランドなどは交通安全教育に力を入れてきました。しかし、人車分離を中心に道路を変えることを進めてきた北欧の国々のほうが死傷者、とくに子どもの事故死が明らかに減少しています」。
「私たちは、自動車による便利さの恩恵をたくさん受けてきました。しかし、多くの痛ましい犠牲も生じてきました。私は、自動車の使用をある程度制限しても、子どもやお年寄りが安全に生きることができる社会をつくることのほうが、豊かさにとっては重要なのだということを伝えていきたい」と杉田さんは語り、前途に長期的なスパンを想定しながら、クルマ社会に慣れ過ぎて犠牲の大きささえも見過ごしがちな社会認識に警鐘を鳴らしています。
道はだれのもの?実行委員会
代表 國松 悦子さん
私個人としてクルマ社会の問題を考える契機になったのは、一昨年、市民団体・自由学校「遊」が主催した『道はだれのもの? クルマ社会からの脱皮』とうい杉田先生の講演がきっかけでした。
クルマ優先社会になったために犠牲になったり被害を蒙った人の状況を踏まえて、交通問題を根本から問い直すという強い主張の核心は、子どもをとり巻く過酷な交通状況についてでした。それは私も子どもを育てながら実感してきたことであり、遊び場がなくなって友達との交流が少なくなったり異年齢の子どもと遊ぶこともなく、エネルギーを発散させる場はますます少なくなっています。長男を育てていた時と末っ子の時とでは、更に状況が悪くなっているように感じていたものですから、先生の話に共感し、自分にも何か活動ができることはないだろうかと、独自に働きはじめました。
昨年秋から仲間とともに月1回の勉強会を続けてきました。そのなかで、今回は杉田先生の講演をより多くの人に聞いてもらおうというプランがうまれ、一方でクルマ社会の現状を写真資料で訴えてはどうかという提案もあって、実行委員会を作り、撮影のためのウォッチングをはじめたのです。
人々に伝えることのできる写真を撮るためには、その地域に生活していて、ふだんから問題を感じている人に案内してもらったり、自分の目を育てながら撮影を続けました。その過程で、無謀に運転する人の背後にあるものは何かを考えてみました。子どもは交通弱者と強者の関係のなかで、いつもクルマに脅えながら成長しています。しかし、それを疑問に思うまもなく、やがて自分が車を持った時には強者の運転をするようになる、そんな恐れすらも感じさせられました。
写真資料展は、札幌地下鉄街のオーロラスクエアという場所柄もあって、じっくり見てくださる人が多く、貴重な意見や感想がたくさん寄せられました。挙_や立場を変えてみるなかから、人に優しい道やまちづくりはどうあるべきか、あたらめて問題に気づく人も多かったようです。開催期間中、写真を見てくださる人と、それを提供した私たちが「同じ視点で問題を共有しあえた」という実感を得たのは貴重なことでした。
今後は、この経験を踏まえて、交通問題の解決をめざした街づくりを働きかけていきたいと思います。夢のある、いきいきとしたまちを総合的に創りあげるためにも、さまざまな立場の人が参画できるよう、その橋渡しになれたらと思っています。