ウェブマガジン カムイミンタラ

1997年07月号/第81号  [ずいそう]    

「北のポリオの会」に出会って
坂東 慶子 (ばんどう けいこ ・ FM北海道スクリプター)

その日の午前中、私はずっと迷っていた。手元には新聞の切り抜きがある。「北のポリオの会」代表・Iさんという方のインタビュー記事である。

清楚で、愛らしい方だ。1歳の時にポリオにかかり、両足に障害が残っているという。3人のお子さんがいるそうだが、彼女の今までの人生を思い、そして、私も幼いころ同じ病院に入院していたたくさんの友だちを思った。みんな、どうしているだろう。お母さんになって頑張っているだろうか。毎日、会社に通っているのだろうか…。

1960年(昭和35)、日本中にポリオの嵐が吹き荒れた。5歳だった私は、数日間の高熱のあと、右足首にマヒが残った。それはほんとうに軽いもので、小学生の時に3度の手術を受け、中学時代には体育も普通にできるようになっていた。それからは、スキーも楽しんだし、仕事で大雪山にも登った。ニセコの沼めぐりも全コース歩いた。疲れによる痛みやだるさは、たいてい一晩寝ると治っていた。

ところが、この1、2年、状況はじわじわと変化していた。出産や育児にも気丈に耐えた右足が、すっかり音を上げてしまった。長く歩いたわけでもないのに痛みが続き、夕方になるとソファーで1時間ほど休まないと台所に立てない日が続いた。自分には関係ないと思っていた「ポストポリオ」の言葉が胸を締めつける。Iさんに電話をしたのは、そんな日の午後だった。

彼女は写真の印象そのままの、やさしい静かな声で「北のポリオの会」について話してくれた。7月26日(土)かでる2・7で2回めの集まりをもつこと、「ポストポリオ」については、神戸で活動している「ポリオの女性の会」が先べんをつけているので、その情報も取り寄せて勉強していこう、また、病院や靴についても情報交換していこう、ということだった。

あの時、同じ病棟に入院していた子どもたちは、いま40代となり、家庭で、社会で、大きな責任と向かい合っている。共に手をとって、この正念場を乗り越えていきたいものだ。できれば、うんと楽しく、和気あいあいとしたクラス会のノリで…。

Iさんに会う日を楽しみにしている。

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