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1997年11月号/第83号  [特集]    旭川

幅広い関係者が多数集まって大雪山を守る熱心なフォーラム
大雪と石狩の自然を守る会

  1972年(昭和47)12月、北海道開発局と北海道が建設を国に申請した大雪縦貫道計画に反対して結成された「大雪の自然を守る会・旭川」は、現在「大雪と石狩の自然を守る会」と名称を改めて活動をつづけ、今年、創立満25周年を迎えます。大雪縦貫道問題に対する反対運動は、北海道の自然保護運動が市民運動として展開されるようになった最初の活動です。この問題は市民運動の盛り上がりによって取り下げられることで決着、これにかかわった市民組織のほとんどは姿を消していきました。しかし、旭川の市民組織はその後も環境問題への取り組みをさらに発展させ、一方では市民とともに自然保護の大切さを体得する、地道な、しかし貴重な学習活動をつづけています。

自然を守るきびしい目と主張、自然に親しむ「輪」を市民にひろげて25年

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10月10日、第1回「大雪山国立公園フォーラム・大雪山国立公園の自然を語る」が上川町北町の多目的施設「かみんぐホール」で開催されました。このフォーラムを主催したのは上川町と同町教育委員会、上川町自然科学研究会、環境庁大雪山国立公園管理官事務所、大雪山国立公園パークボランティア、大雪山国立公園研究者ネットワークなど大雪山を守る関係団体です。

午前中は「大雪山国立公園の高山の自然」がテーマ。藤巻裕蔵さん(帯広畜産大学畜産学部畜産環境科学科教授)がコーディネーターを務め、平川一臣さん(北海道大学大学院地球環境科学研究科教授)が「大雪山の高山帯の不思議な地形」、佐藤謙さん(北海学園大学教養部生物学研究室教授)が「大雪山を彩る高山植物たち」、保田信紀さん(層雲峡博物館館長)が「大雪山の高山帯に生きる昆虫たち」と題した講演をおこないました。

午後からは、小野有五さん(北海道大学地球環境科学研究科地球生態学講座教授)がコーディネーターとなり、午前中の講師に大雪山国立公園上川管理官事務所のレンジャーなどがパネリストに加わって「大雪山国立公園の利用のあり方を考える」をテーマにパネルディスカッションがおこなわれました。

大雪山は北海道が世界に誇る山岳国立公園です。このフォーラムは、大雪山国立公園の高山帯の自然についての理解を深めることと、利用者の増加によって問題となってきた利用のあり方について考えようとするもの。貴重な植生の破壊が進んでいる様子や、黒岳をはじめ傷みが目立つ登山道の修復の緊急性が強く訴えられていました。

主催者のほか、来賓としてあいさつに立った鈴木文雄上川町長、森孝順環境庁自然保護局西北海道地区国立公園・野生生物事務所所長、100人を超える町民、自然保護関係者、自然愛好者、主催団体、パネリスト陣など、上川町を会場とするフォーラムにこれほど幅広い参加をみたことは、自然保護に対する各層の関心の高まりを反映したものです。

パネルディスカッションのあとの質疑応答では、大雪山をフィールドの中心に据えて、長年、自然保護活動に取り組んでいる「大雪と石狩の自然を守る会」(寺島一男代表・会員約400人、事務局=〒070-0822旭川市旭岡1丁目 TEL:0166-51-9972)の会員が発言する姿もありました。

本格的な市民運動の始まりは大雪縦貫道計画への取り組み

イメージ(石狩川の自然度調査結果を市民に説明)
石狩川の自然度調査結果を市民に説明

戦後の日本における自然保護運動は、尾瀬にはじまるといわれます。1949年に尾瀬保存期成同盟が結成され、1951年にこの組織が改組する形で日本自然保護協会が創立されました。その10年後に日本自然保護協会北海道支部がうまれ、1964年に北海道自然保護協会が独立した組織として設立されました。役員は道内政財界、学者など各界のトップクラスによって構成されました。おりから高度経済成長期であり、各種開発事業が進められるなかで、協会は自然破壊の被害を少なくするよう意見書を提出して計画の修正を促す活動をみせていました。

1966年、冬季オリンピックの札幌開催が決定して滑降コースを恵庭岳に建設する計画が示されたことから、協会内ではその可否についての大きな論議が交わされ、「オリンピック終了後は原状復帰を」という条件を取り付けました。これが、北海道で自然破壊の阻止を明確に意思表示した最初の動きとなります。

一方、本格的な市民運動が展開されたのは、大雪縦貫道建設問題が初めてです。北海道開発局と北海道は、71年に大雪山旭岳山麓の東川町と東大雪側・清水町間の国立公園内115キロメートルを縦貫する自動車道を造ろうと計画しました。関連町村は産業振興と過疎対策、観光開発を期待して「早期着工促進」の陳情を進めていました。北海道自然保護協会も山頂部分をトンネルとすることなどの条件を付けて、建設に賛成の意向を示していました。

これに反対を唱えたのが、協会員である鮫島惇一郎さん(当時=農林省林業試験場北海道支場育種研究室長)など、純粋ノ自然破壊を憂う人たちでした。『大雪の自然を守る会』準備会が札幌で結成され、市民や学生たちが参加してビラまきや署名運動を展開しました。東大雪側で反対運動を開始していた地元住民も『大雪の自然を守る会・新得』準備会を発足させ、札幌の運動と連動して反対の住民運動を進めていました。

イメージ(代表の寺島一男さん)
代表の寺島一男さん

もう一方の地元・旭川では旭川勤労者山岳会のメンバーが反対運動を展開していました。その中心になって活動していたのが、寺島一男さん(53=旭川工業高等学校教諭)です。寺島さんは表大雪の麓・上川町で生まれ育ち、石北峠・石狩岳連峰・十勝山系の冬季縦走130キロ、アルプスの名峰モンブランの単独登頂に成功した山男です。

「大雪縦貫道を建設するという計画を知り、大好きなトムラウシ山の自然がなくなったら困るぞ、という思いで登山仲間に呼びかけ、登山スタイルのままメインストリート・買い物公園でビラを配り、署名を集めました。ところが『なんだ、自分たちが山に登るためだけで反対しているのか。地域には、あの道路ができたらいろんな恩恵を受ける人もいるんだぞ』と言われ、運動理論を明確にした市民組織に発展させる必要に迫られたのです」。

1972年12月、『旭川・大雪の自然を守る会』が発足しました。発足後10カ月ほどのあいだに1,600人の会員が加入する盛り上がりをみせました。そうした心強い後押しと、それぞれの『守る会』の科学的な反対論拠によって、道路建設に対する自然公園審議会のきびしい規制を引き出すことに成功。翌73年10月、北海道開発局はついに計画の取り下げを発表して一応の決着をみたのです。

多くの市民組織が消えるなか活動の継続を決めた旭川

イメージ(大規模林道の現地調査)
大規模林道の現地調査

いち早く住民運動を展開した新得の『守る会』は、所期の目的を達成して解散しました。札幌の『守る会』は、組織替えした北海道自然保護協会に加わるようになり、自然消滅していきました。しかし、旭川の『守る会』は、活動を継続していくことが確認されました。

「私たちが大雪縦貫道の現地調査をするための予備調査を十勝岳山麓地域でおこなったとき、縦貫道の予定コースに沿う形で林道工事が実施されていました。何カ所も自然破壊をして林道建設を進めていたのです。私たちは、そのことを見過ごすわけにはいきませんでした」と寺島さんは当時を語ります。

次々に破壊の不安が迫る山と森と川と地域の環境

この会の自然破壊阻止への闘いは、大きく4つのキーワードに分けています。

その1つは“山を守る”取り組みです。大雪縦貫道問題に並行する形で、表大雪循環道路問題が起こり、旭川市長や上川支庁長、さらに開発促進期成会などに撤回を申し入れ、計画中止をかち取るにいたりました。日高中央横断道路問題にも取り組みましたが、その声はついに届かず強行着工されました。そして美瑛富士スキー場開発問題。これはリゾート法に基づく開発計画で、一定の計画縮小を取り付け、現在は休止状態になっています。先ごろ道の“時のアセスメント”にリストアップされて再評価の対象になった道道士幌然別湖線(士幌高原道路)も目を離せない状況だといいます。

その2は“森を守る”取り組みです。これには大規模林業圏開発計画にそって林道を建設するというもの。美瑛町の白金林道は『守る会』の指摘で林野庁は貴重な水源涵養保安林の林木を切り過ぎたことを認め、5千本の苗木を植え直したという経緯があります。最近は森林開発公団が進める大規模林道が問題視されています。北海道にも網走・阿寒地方、日高地方、北見地方の3路線が計画され、その延長は230キロメートル、総工費は1,260億円です。自然破壊の不安とともに、ほんとうに林業開発にそれほど大規模な道路が必要かと多くの人に疑問視されているのに、一部は強行着工されています。

その3は“川を守る”です。旭川市内には5本の河川が流れ、市街地で石狩川に合流しています。その石狩川が、水銀に汚染されていることを知ったのは75年の夏でした。『守る会』は発足まもないワーキンググループ河川班と新たに『石狩川水銀なくす市民の会』を発足させて、この問題に取り組み、清流を取り戻す運動を開始したのです。

「汚染源は市内のパルプ工場です。パルプ工場による重金属汚染、とりわけ水銀汚染はほとんど知られておらず、全国に約600カ所ある紙・パルプ産業全体にかかわる大問題に発展することが予想されました。旭川市との交渉によって学者団の工場立ち入り調査を実現し、汚染源の解明と汚染のひどい工程の廃止に成功しました。一昨年、昨年は2回にわたって市内5つの河川の環境調査をおこない、川の自然度や水質調査の結果を公表しました。

イメージ(サケ・ゼミナールでの稚魚放流)
サケ・ゼミナールでの稚魚放流

その4は“地域の環境を守る”です。市民的な取り組みになっているのが、石狩川サケ放流運動です。“サケ・ゼミナール”といって、まずサケの稚魚を飼育するための学習会を開き、毎年、道内のサケ孵化場から受精卵をもらい、冬のあいだ家庭や学校で育て、春に石狩川へ放流するのです。

「この活動は14年前からはじめていますから、もう7万尾を放流したことになります。サケの回帰率は数パーセントといわれていますので、放流数はちょっと少ない。しかし、東京・多摩川では汚れている川に少ない数のサケ放流をして成功しているので、旭川にも帰ってくる可能性はじゅうぶんあると思っています。事実、下流の深川市で長年ヤツメウナギ漁をしている人が、2年連続で遡上(そじょう)しているのを見たと連絡してくれているので、おおいに期待しています」とのこと。

数年前までは、旭川の大気汚染調査も長くつづけていました。NO2測定と分析をし、市内の大気汚染マップを作ってクリーンな空の確保を呼びかけました。比布町との境に位置する突硝山(とっしょうざん)のゴルフ場開発にも反対し、『突硝山の自然を考える会』と力を合わせて実質的な凍結状態をかち得ました。この地域はカタクリの花の群落があることでも知られ、動植物の豊かな生息地です。身近な自然を守る、それがもう1つの目標でもあるのです。

大人には「ひぐま大学」子どもには探検フォーラム

イメージ(「ヒグマ大学」夏の巡検講座は武華岳登山)
「ヒグマ大学」夏の巡検講座は武華岳登山

この『守る会』が市民に信頼をもって受け入れられているのは、自然保護の輪を市民とともに広げているからです。その1つが、森の学校『ひぐま大学』です。80年から開講しており、2年間で12講座を受講すると卒業となります。受講者の募集定員は高校生以上で1コース50人。講座の内容は、大雪山を中心にした壮大なフィールドの自然史からはじまり、自然観察へと進んでいきます。自然の科学性、歴史性、文化性を重視し、しかも巡検を主体にした学習方法です。キーワードは、登山を主体にした実行継続的な自然観察講座。事前学習で予備知識や基礎知識をしっかり学んでいくユニークさ。次の講座にも在籍する卒業生が70パーセント、10年以上継続して受講している人も10パーセントもいるのは、この講座がどんなに魅力的で意義あるものかを推し量るバロメータです。

イメージ(天塩岳山麓で冒険キャンプを楽しむグリーンフォーラムの子どもたち)
天塩岳山麓で冒険キャンプを楽しむグリーンフォーラムの子どもたち

小学生を対象にした『ちびっこ探検学校』は75年の夏休みに第1回を開き、81年から『グリーンフォーラム旭川』に発展させて子どもたちに楽しい自然教室を開きつづけています。四季ごとの教室に加えて、夏休み探検教室、山の教室、川の教室、米の教室などそれぞれにユニークなカリキュラムを組み、3月のサケ教室でひと区切りをつけます。

「自然は子どものうちからやさしく接し、ゆったりと溶け込むような気持ちで理解しなければ」というのが、このフォーラムの考え方なのです。

開発者―行政―市民の相互批判から一致できる

大雪山はわが国最大の山岳自然公園です。その山系には2千メートル級の峰々が連なり、氷河期からの遺存種とされる動植物が数多く生息しています。その分水嶺を源にする石狩川は上川盆地、空知・石狩平野に広大な流域を形成して、わが国有数の穀倉地帯の恩恵を私たちにもたらしています。その貴重な自然が危機に瀕するのを見過ごすことができず立ち上がり、25年間も時にはきびしい姿勢で破壊行為から守り、時には自然の大切さを肌で学びとる息の長い活動をしているこのグループは、ともすればラジカルに過ぎがちな自然保護活動のあり方に、ひとつの方向を示しているとの評価が寄せられています。

「自然は私たちが未来へ受け継ぐ遺産なのだから、私たちが壊したり使いきったりせず、いい形で残してやろうというのが、この会の中心テーマです。そのフィールドにしているのが大雪山と石狩川。それは山と川、それにつながる海までをトータルに守っていく運動をしようということなのです」と寺島さんはいいます。この25年間、切れ目なく発生する自然破壊の問題に、ある時はその前面に立ち、ある時は後方から諄々(じゅんじゅん)と説く姿勢を見せながら取り組んできました。

「ふり返ると自然保護運動に対する受け止め方はかなり変わったと思いますね。むかしは、私たちの主張など歯牙にもかけなかった役所も、どこまで取り入れてくれるかは別にしても、話し合いに応じる姿勢はみせるようになりました。一般市民も、かつては冷ややかな目で見ている人もけっこう多かったのですが、今はかなりの理解を示してくれます。しかし、自然保護に対する運動や考え方が広がりを見せるようになり、自然保護と自然愛護との混同、環境や開発に対する考え方に違いも出てきて“自然を大切にしよう”と言っている者同士がいがみ合うケースもあったりします」と現状の問題点を語ります。

「たとえば、山に道路を通すためトンネルを掘ったら、環境にどんな影響が出てくるか。その計画を取りやめたら地域の活性化にどれほどのマイナスが出るのかという議論を積み重ねなければなりませんが、そこにゆくまでが大変なのです。自治体と地域住民、市民運動組織との接点は、まだまだ欠けていると思います。役所も以前のようにひどい開発は少なくなりましたが、目の届かない山奥では相変わらず大事な木を切ったりしています。また、パルプ工場のp水を暗きょにして旭川市内の郊外で吐き出す計画が進んでいます。そこには処理場も造らないというのです。行政側からすれば、発生源との中間に環境基準を測る地点があるので、そこがクリアーできるからいいという考えなのです。これでは汚染地帯を移動させただけの公害隠しになります」と、きびしく批判するのです。

その環境アセスメントについても「計画が出来上がってからではなく、構想の段階から自然に対してどの程度のインパクトを与えるのか、それによって長い将来にわたってどんな開発メリットがあるのかを科学的に評価できるようでなければなりません。そうでなければ観念的、盲目的に賛成、反対ということになります。それ以上に問題なのは、環境アセスメントは事業主がすることです。開発者が自分で自分の行為を評価するのですから、都合の悪い結論が出るはずがありません。アセスメントではなく“合わせメント”だといわれる所以(ゆえん)です」とも指摘します。

「私たちは2年間にわたって石狩川の調査をしましたが、日常、生活者として感じていたこととほとんど違わない結果が得られました。自然保護や環境保全の問題は、地域から解きほぐしていかなければなりません。行政が環境問題にかかわってきた歴史、私たち市民運動の歴史をみると、両者はまだまだ一体にはなれない状態がつづくと思われます。しかし、それぞれの視点に立って相互批判をしあいながら一緒になれるところを見い出していくことが必要です」。

イメージ(5年前、息の長い活動を祝いあう会員の皆さん)
5年前、息の長い活動を祝いあう会員の皆さん

寺島さんは、行政の中にも若い人や現場にいる人などが少しずつ市民運動にも理解を持つようになっているのに気づいています。まだ数は少ないが、今後その数が増すことによって相互に理解を深めていく大きな流れになるものと期待しています。



鮫島惇一郎さん (自然環境研究室・主宰)

大雪縦貫道の建設計画が発表された当時の北海道自然保護協会は、この計画に賛成の意向を示していました。このころの自然保護協会は、どちらかといえばサロン風的な任意団体でした。

そこで私は、故小関隆祺(たかよし)さん(のちに名寄短期大学学長)などと一緒に「縦貫道問題をこのままにしていてよいのか。ほんとうに北海道の自然を考えるのであれば、自然そのものに基づいた見解を明確に打ち出すべきじゃないか」と論議をおこし、故坂本直行さんを代表にして『大雪の自然を守る会』を札幌で発足させたのです。

そのころ、地元旭川では、寺島さんたち旭川勤労者山岳会のメンバーが反対運動を始めており、私たちの会に呼応して『大雪の自然を守る会・旭川』に発展させてくれたのです。ひと足先に東大雪側の新得に同じ名称の住民組織がうまれており、三者共闘の形で反対運動を展開しました。この運動は全国的な世論の高まりと、自然公園審議会(林修三自然公園部会長)の「社会的に、ぜひ必要な道路で、代替ルートがない場合に限り、しかも貴重な自然は避けなければならない」という、いわゆるI林発言Jなどによって計画は取り下げられることになりました。

この問題が決着したことで、私たちの会は有名無実の状態になり、新得の会も自然消滅しました。しかし、寺島さんたちのグループは活動を継続し、やがて日高横断道路建設、大規模林道問題などの反対運動へも進んでいきました。その一方で『ひぐま大学』やグリーンフォーラムなど自然学習と自然保護思想の普及活動へと向かっていったのです。

北海道自然保護協会は、やがて社団法人に改組され、旭川で熱心に活動している寺島さんも理事に推薦されました。私も理事や副会長などにかり出され、また寺島さんとはときどき顔を合わせる機会が増えるようになりました。

そのとき「ああ、寺島さんは変わったな」という印象を感じました。生意気な言い方ですが、いろいろな体験を積み重ねるなかで人間的な幅を広げられたのでしょう。温厚で、かつ粘り強さがあり、しかも迫力がある。つまり、強さを柔らかさで包んだという感じの人に思えるようになりました。

寺島さんの活動は、直接には大雪山と石狩川の自然を守る運動なのでしょうが、それをがむしゃらに押し進めていくのではなく、ごく普通の人の自然保護意識をどのようにして高めたらいいのか、ということに心を置いていらっしゃる。『ひぐま大学』とグリーンフォーラムのあり方は、自然の楽しみ方を通じて、ほんとうの自然とは何かを理解してもらい、こんなに貴重なのだから大切に後世に残そうということを、言葉で理解するだけでなく、からだで感じ取ることの必要性を実践しているのです。

寺島さんは「自然保護は三つ子の魂から」ともいわれています。それは、寺島さんが教育者だからこそ気づくことなのでしょう。非常に地道な活動です。しかし、継続は力であり、参加した人たちの中に着実に理解を深める人が増えているのです。

私たちは、ほんとうの自然はどういうものかを区別して認識しなければなりません。外来樹を公園に植えたり、自然石をコンクリートでナ定して造った親水公園や、虫が発生するからと下草を刈り取ってローンにした林など、単に自然物を利用したものと、ほんものの自然とを区分する知恵を持たなければなりません。

かつて環境アセスメントの審議委員を務めていたとき、提出されてくる調査報告書の中に「この林はどこにでもある林なので、切り壊しても問題はない」という表現が随所に出てくるのに驚きました。そのわずかずつの破壊が、やがて取り返しができない状態になるのを気づかないのでしょうか。ありふれた自然は、人間にたとえれば庶民です。庶民を不在にした社会は成立しないのです。

最近はジーンバンク(gene bank)のための林づくりが考えられています。遺伝子操作によって、垂直で枝分かれがなく、病気にも強い、優れた木だけを残して保存・供給するのだというのです。
「ちょっと待ってよ。それは、効率追求だけには都合がよいかもしれないが、林自身にとっては、枝がひねくれていたり、簡単に腐ってしまうような木もあったほうが、はるかに健全なのではないかな」。

いろんな機会を通じて「自然保護の問題は利益優先で考えるのではなく、林はさまざまな木や下草によって構成され、そこに住む虫や鳥や地中動物のことも考えなければならないのですよ」と話すと、若い人は賛成してくれます。少しずつですが、自然に対する認識が変わってきていることに希望を感じています。

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