ウェブマガジン カムイミンタラ

1997年11月号/第83号  [ずいそう]    

「この指、とまれ」
國松 悦子 (くにまつ えつこ ・ 札幌市在住)

私が子どもの頃、実家が商売をしていて、両親と兄妹5人の生活は、お店が中心の忙しい毎日でした。賑やかな環境ではありましたが、家族そろって食事をすることはほとんどなく、親からあれこれと世話をしてもらった記憶もありません。どちらかというと、会話の少ない家庭だったと思います。

そのおかげでというか、私は外で遊んでばかりいる子どもで、近くの墓地では木の蔓を使って、墓から墓へとターザンごっこなどをするお転婆娘でした。中学生になると、勉強が忙しくなり、外で遊んでいる子は見かけませんでした。それでも私は遊びたくて、暗くなっても店の電気が明るかったので、前の道路で遊んでいたものです。

あれから何十年も経って、今の子どもはテレビゲームが遊びの中心ですが、進歩したといえるのでしようか。かくれんぼ、鬼ごっこなど、何もないところから見つけだす遊びは、創造力、企画力、学力、そして今失われてきているコミュニケートする力が秘められた高度な遊びだと思います。「馬乗り」「ポコペン」「ビー玉遊び」「S陣取り」など思い出すと今でも遊びたくなります。

今、道が車のものになり、家の周りでは遊べなくなってきています。公園も小さい子にとっては、親と一緒に行かなければ遊ぶこともできません。空間、時間、仲間が無く、この3つの「間(あいだ)」を行き来することのできる大切な遊びが失われつつあります。

私は「道はだれのもの?」と題した写真展を経て、子どもの遊ぶ環境を調べ、仲間と活動をしています。子どもに遊びを取り戻してあげることは、あんなにワクワクして遊んだ大人の義務ではないかと思います。知り合いが私に「真面目なのね、もう少し遊んだら」なんていいましたが、仲間を集め、企画し、形に仕上げていくこの活動は、寂しかったときも私を元気にしてくれたあの頃の遊びの延長なのかもしれません。
「かくれんぼするものこの指、とまれ」。

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