学童保育は留守家庭児童対策事業として、子どもの成長保障と親の労働保障を長い年月をかけ、少しずつ前進させてきた。だが、子どもたちをとり巻く状況の変化のスピードはその比ではない。今の“学校教育”と“地域”で子どもたちは人間らしく成長していけるのか? そんな危機感を、留守家庭ではない親たちも抱きはじめている。
今、日本ではすべての子どもが育ちにくい状況にあるようだ。“カギッ子”たちの砦(とりで)だった学童保育所には、今日、障害をもつ子、学校に行けない子、一見、問題なさそうな子、あらゆる子からの悲鳴がなだれ込んでくる。なぜか? それは、学童保育に創造的、生産的に日々を過ごす“子ども集団”があるからだ。
先日、私の職場である「翼クラブ」の様子を客観的に見る機会があった。『阿賀に生きる』のカメラマン小林茂さんによって、翼クラブの日常の一日が短編映画になったのだ。小太鼓を持って踊る子、歌う子、こま、けん玉に熱中する子、いたずらしている子、たくさんの子どもらしい笑顔があふれているが、そこには笑顔と笑顔のあいだにある“関わり”が写し込まれている。
媒介になっているのは、無論“遊び”だ。翼クラブでの遊びは、すべて“関わり”が遊びの成立のために必要なものばかりだ。集団遊びはもちろんのこと、伝承遊び、こま、けん玉と個人で遊ぶものでさえ、伝え、学ぶがなければ遊びが成り立たない。時に退屈し、頭を寄せ合って創造することも大事だ。スイッチを押せばバーチャルな世界に退屈を紛らわしてくれる遊び、消費的な遊びではなく、創造的な遊び、リアルな人間関係のある集団の中で育ち合う姿がここにはある。
翼クラブには、今、7人の障害を持つ仲間がいるが、実は小林さんに「翼の子を撮りたい」と思わせた最大の動機は、放課後、障害を持つ子も、そうでない子も自然に溶け合って遊ぶ姿だった。
映像の中の子どもたちは、笑顔で問いかけている。「大人たちはどうなの?」
カギッ子たちの「鍵(かぎ)」は、いつの日か障害の有無を越えて溶け合う大人社会の扉を開ける鍵となるかもしれない。