昨年の師走を間近にした金曜日の夜7時。札幌市の学校開放事業で市民に貸し出された札幌中央小学校(中央区大通東6丁目)の多目的ホール「なかよしホール」に、40数人が集まり、愛用のヴァイオリンやチェロ、コントラバスの弦楽器、オーボエ、フルート、クラリネットなどの木管楽器、そしてトランペットやホルンの金管楽器を手に、チューニングの最中です。
やや遅刻の指揮者に代わって団員の1人が指揮に立ち、まず音階の練習がはじまりました。低い天井のホールいっぱいに和音が充満し、やがて指揮者の指示にしたがってバッハの「コラール」、モーツァルトの「アヴェヴェルム・コルプス」の合奏へとすすんでいきます。そこへ、指揮者の星寿次さんが到着しました。コートを脱ぐと、そのまま指揮を交代し、練習をつづけます。
「テンポをもって、強弱に気をつけてください」
大きく手を振りながら、指揮者自身が楽器に負けないほどの声で歌っています。曲はヘンデルの「ハレルヤ」から「聖夜」「ジングルベル」などおなじみのクリスマス曲がメドレーでつづきます。12月23日夜のコンサートを間近に控えているため、一音たりともおろそかにするまいという意気込みが伝わってきます。
この交響楽団の名は『札幌100交響楽団』。ユニークな名前ですが、それは「100人が集まって、100年をかけて、100曲の交響曲を演奏しよう」という創立者一同の思いをこめた名称なのです。
1989年(平成元)秋にオーケストラとしての活動を開始。91年に独立団体となって、現在に至っているアマチュア交響楽団です。最初の指導者は、北海道札幌西高等学校でオーケストラを指導していた故橋本浩二さんでした。札幌西高の教員を定年を前に退職したあと、「音楽家だけでなく、だれもが音楽を楽しみながら合奏できるオーケストラをつくろう」と同世代の教員仲間や市民に広く呼びかけてメンバーを募ったのが始まりです。その誘いにこたえて入団し、現在も楽団の代表として運営にあたっているのが森谷長能さん(68)です。森谷さんは、独立する前年、新聞の投書欄に寄稿しました。
―私はいま60歳を過ぎて、生まれて初めてヴィオラを手にし、100交響楽団という風変わりな名前のオーケストラに加わり、オーケストラでなくては味わえないハーモニーに酔いしれながら練習に励んでいます。音楽の好きな人ならだれでも一度はオーケストラで演奏してみたいと願いつつも、その夢を果たせないであきらめている方が多いことでしょう。
実際、いまの日本ではかなり長い年月をかけて音楽教育を受けた人でなければオーケストラに加われないのが実情です。私たちの交響楽団はそうした実情を打ち破って、まったくの初心者でも参加できる楽団として創立しました。80歳近い人から小学生まで、多少経験のある人が初心者に手ほどきしながら、和やかに、あせらず楽しんでいます。「こんな程度では…」とちゅうちょしている方、ぜひ勇気を出して参加してください―
この呼びかけは、たいへんな反響をよび、またたくまに30人ほどの人が入団を希望してきました。その1人が現在チェロパートを担当している原舜吾さん(68)です。
「ちょうど会社を定年退職するときでした。以前から音楽はCDなどでよく聴き、夫婦そろってコンサートにもよく出かけていました。とくにチェロ曲が大好きで、自分でもあんなすばらしい音色が出せたらなあと憧れていたものです。そこへあの記事を読んだのです。たいへん感激しました。早速、投稿者の森谷さんに電話をして、一度も楽器を手にしたことがないが、それでも入団させていただけるのかと尋ねますと、大歓迎だというのです。また感激してしまいました。ともかく練習ぶりを見に来てくださいと誘われ、2回ほど見学させてもらったあと、意を決して仲間に入れてもらいました。まず、楽団の初心者講習に入り、やがて別に個人レッスンを受けるなどしてみなさんについていけるようになりました。最近は年配者10数人で『サンデーストリングス』というアンサンブルをつくって、ボランティア演奏などもしています。腕前はともかく、仲間で美しいハーモニーをつくっていく合奏の楽しさを存分にあじわっています」とのことです。
じつは、同じような現象は創立当初にもありました。最初はヴァイオリン4人、ヴィオラ1人、それに森谷さんのフルートと指揮者の橋本さんの7人でスタートしたのですが、そのことが新聞記事にとり上げられたことで40人近い応募があり、一気にオーケストラの体裁が整ったのでした。
「そこまではよかったのですが、日本の音楽教育は管楽器が主体なものですから、フルートが10人にもなってしまいました。それにひきかえ、弦楽器が足りないというので何人かが弦に回りました。私も、それまで手にしたこともなかったヴィオラを担当することなったのです。おたがい、腕前には自信がないので不平も言わず、楽器の持ち方、ボーイング(弓づかい)から習い始めました」と森谷さんは語ります。いちばん困ったのは初心者が演奏できるようなやさしい曲がないことでした。
「無理をしてモーツァルトやブラームスなど大作曲家の交響曲の一部分をピックアップして練習するのですが、とてもついていけない。ハイドンの交響曲101番『時計』が、いくら練習してもできないのです。管楽器の方はなんとかマスターできたので、しだいに退屈する人が出始める。一方、弦楽器の人のなかには自信をなくして練習場の前まで来て帰ってしまう人もいるという状況になり、やがてかなりの人が楽団を抜けていきました」。趣旨の徹底と基盤が固まるまでの草創期によくある危機です。森谷さんの投書はこの時期のものでした。
森谷さんは橋本さんと相談して、自分たちの力量に合うオリジナルの交響曲をつくろうということになり、橋本さんがまず交響曲『エチュード』を、さらに交響曲『日本』を作曲しました。
「これで、自分たちの力量と曲との矛盾はほぼ解決し、それにポピュラーな小品を加えていくことで、ある程度、安定することができました」ということでした。
ところが、また新たな危機に遭遇しました。橋本さんの健康が優れず、練習が休みがちになったのです。背骨となる指揮者がいないなかで、指揮の経験のない何人かの団員が交代でタクトを振って練習をつづけていましたが、93年、頼りにしていた橋本さんが死去されたのです。
そんな札幌100交響楽団の趣旨と状況をよく理解して指導を引き継いでくれたのが、やはり高校の音楽教師として橋本さんとの親交もあった、現北海道千歳北陽高等学校の音楽教師、星寿次(59)さんです。楽団員にふたたび希望がよみがえってきました。
札幌100交響楽団を愛した橋本さんの思いがこもったオリジナル交響曲を新しい指揮者のもとでマスターし、「これならお客さんにも聴いてもらえる」と橋本さんに報告できるまでになった94年5月、札幌市北区のプラザ新琴似で一周忌の追悼公演を開催しました。やはり橋本さんが指導していたお年寄りの合唱団「銀の鈴」ともジョイントし、転勤などで退団したかつての団員が東京や道内の地方都市から駆け付けて演奏に加わるなどのうれしい一幕もあって、大成功でした。
自信を得た楽団は市内の養護施設や老人ホームなどへのボランティアコンサートを始めるようになりました。“100年に100曲”つまり1年に1曲ずつの交響曲をマスターしていくという目標は順調に達成されていき、最初の独自コンサートを開いたのが95年3月でした。『まず、さいしよのコンサート』という、ふるったタイトルでした。まだお金をいただく力ではないからと、入場無料。しかし、ステージは札幌市教育文化会館と一流です。プログラムは橋本さんの遺作2曲に加えてベートーヴェンの交響曲第1番第1楽章への挑戦でした。ブログラムの中に、初心者だけの演奏を聴いてもらう企画を加えました。これは、どのオーケストラでもやらないユニークなことで、それが聴衆の心を和ませ、音楽をいっそう身近にする温かさだと大好評。このコンサートを紹介した新聞記事の見だしに“心のハーモニーは超一流”という文字の光っていたのが印象的でした。
96年に挑戦したのはシューベルトの交響曲第8番『未完成』です。これは全楽章をマスターしました。では、技量はかなり上達したのだろうかと思うと、必ずしもそうではないらしいのです。
「発足当時からみれば少しは前進しているでしょうが、楽器演奏の経験はまったくゼロという人を常に迎え入れているものですから、全体的にぐんぐん技量が高まるということは望めません。一方で、個人的にはめきめき上達していく人がたくさんいます。すると、その人たちはもっと手ごたえのある曲に進みたいと思うわけです。しかし、それについてけない人もいる。そんな葛藤は絶えずあって、常に論議をします。最後は創立の趣旨にそって、まったく音楽にかゥわりを持たなかった人、初めて楽器を手にする人を大切にしようということで理解しあっていくのです」と、森谷さんはこの楽団の抱えている宿命を語ります。
現在の団員は約80人です。男女の会社員、パート勤務の人、主婦、歯科医師、高校生、大学生、蕎麦打ちの職人さんもいます。夫婦団員が何組か、定年退職者など70歳を超えた人も何人かおります。女性が約7割、男性の半分近くは60歳を過ぎて悠々自適の生活を送っている人たちです。以前は84歳の人がいましたが、さすがに体力が続かなくなったということで退団されました。指揮者の星さんがそんな団員に初めて接して驚いたのは、みなさんの楽器演奏にかける情熱でした。
「初めて楽器を手にしたとき、ポピュラーな曲が演奏できるようになればいいと思っているのだとばかり思っていました。ところが、違ったのです。たとえば、ヴァイオリンを弾きたいと思っている人は、子どものころ、あるいは大人になってレコードやCDで耳になじんだ名曲を弾いてみたいと思っていたのです。それも『未完成』や『運命』といった大曲をオーケストラで演奏してみたい、というあこがれをもっていることを知ったのです」といいます。
団員に定年を迎えたような年代の人が多いのは、少年・少女時代は戦争中で、食べ物もじゅうぶんになかった時代を生き、物不足の中で青春期を過ごし、やがて社会人となって日本経済の発展のために身を粉にして働いてきた人たちです。女性もそうした夫を支え、子育てに大半の人生を送ってきた人たちです。その人たちが、ようやく自分の人生を思うように過ごすことができるようになり、もう一度、自分自身のために“やりがい”のあることをしたいと思う。そのとき、ふと、かつてあこがれていた楽器を持ち、ある時は自分の心を癒してくれ、ある時は大きな感動を与えてくれた名曲を自分自身の手でも弾いてみたい、と思う人がたくさんいたのです。
そんな人たちの中には、「先生、楽器を紹介してください」と星先生の手を引っ張って楽器店に行き、その場で思い切りよく買ってしまう人もいます。OLの女性の中には働きながら預金を増やしてきたのでしょうが、高価な楽器を値札を付けたまま持って来て「これでいいか迷っているのですが、先生、どうでしょうか」と相談する人もいたりするそうです。なかには「楽器もないのですが、入団させていただけますでしょうか」と控えめに申し出る年配の人もいたりします。その人たちには楽団で保有している楽器を貸してあげたり、楽器店のレンタルを利用するようすすめます。いずれの方法にしても、まず“私の楽器”を持ったという喜びをほとんどの人が感じることができるのです。それだけに、気負いも大きく、最初から、耳に覚えた旋律を自分の手で弾きたくてたまりません。なかには、かなり良い音が出せるようになっている人もいるのですが、残念ながら自己流で、楽譜もきちんとした読み方ができていない。合奏の経験もないため、練習中は星さんからの指摘も多くなりがちです。
「みなさん音楽が好きで、オーケストラを楽しみたくて集まっていらっしゃるので、そのへんはもっとも気づかうところです。しかし、毎週金曜日の練習日ごとに少しずつ上達していく喜びと、アンサンブルの楽しさがそれに耐える力をつけてくれます」。
「楽譜が読めない人も、器楽演奏の経験のない人も、オーケストラで演奏する喜びを、ともにしましよう」という趣旨なので、入団希望者の応募はいつでも受け付けています。もちろん、テストやオーディションなどまったくありません。初心者が入団すると、毎月2回、日曜日の午後に星さんが講師になって「初心者講習」を開いているので、そこに参加して楽譜の読み取り方、楽器の持ち方、弦楽器の場合はボーイング、ポジションの押さえ方など、まったくの初歩からの手ほどきを受けます。
いつも10数人の初心者が基礎レッスンに励んでいます。なかには、オーケストラの仲間入りできる日が待ちきれず秘かに別の教習所で指導を受けている人がいたり、星さんの許可が下りる前から金曜日の練習に忍び込み、メンバーの後ろの席で弾いている人がいたりします。練習場には音が満ちあふれているので、自分の音もその中に溶け込み、みんなと一緒に弾いているという、そう快感をあじわうことができるのです。
コンサートマスターの1人の斉藤久美子さんは、次のように話します。
「技量に幅があるといっても、上がそんなに高いわけではありませんし、初心者も日曜講習で腕を磨いてきますので、初期のころのようなばらつきは少なくなっています。ただ、オーケストラのあり方や音楽の楽しみ方に対してはいろんな考え方の人が集まっていますので、それらを統一してオーケストラをどのような方向にもっていくかということがむずかしいところですね。だから、選曲がたいへんです。ほかのオーケストラはどんな曲を選んでも、みなさんがそれなりに弾きこなす力を持っています。私たちの場合は1曲か2曲の大きな曲を1年間かけて仕上げ、その曲を全員で弾きたいのです。すると、選曲が限られてきます。たとえば、モーツァルトの初期の交響楽などはフルートの出番がなかったり、クラリネットのパートがなかったりしますから、どうしてもロマン派以降のむずかしい曲になってしまい、私たちの力では手も足も出ない、ということになります」。
「現在までの選曲の傾向としては、全体として、少し無理をしている部分が多いかなと思います。私の希望するところの何パーセントかの仕上がりですが、曲がりなりにもステージにのぼってお客様に聴いていただけるところまできました。これはコンサートマスターをはじめ、ある程度弾ける人たちの辛抱強いリードのおかげです。そして、初心者のみなさんもできるだけ重荷にならないようにと努力している。その到達点だと思います」と星さんは励まします。
2年半前、この楽団のコンサートの記事を新聞で読み、中学時代に習っていたヴァイオリンが眠っているのを呼び覚まして入団したという主婦の斎藤由美子さんは、この楽団の雰囲気を次のように語ります。
「とても、初心者に温かい楽団です。けっして上手とは言えない楽団ですが、それだけに自分にもあのくらいなら弾けるようになるかもしれないと、親近感を持っていただける楽団ではないでしょうか」。
初代指揮者の息子さんで、小学5年生の時から入団している北海道大学3年の橋本望さんも、同じような感想を語ります。
「ぼくは、ほかに2つほどの楽団に所属しています。この楽団の技術はどこよりも低いと言っていいでしょう。それは、初心者が大勢参加しているのだから当然です。でも、すごく温かい。それに、始めたところのレベルは低くても、みんな熱意があるのでだんだん上手になっていくのです。チェロのパートには60歳からチェロを弾き始めた人がいますが、けっこう上手になっています。いくつになって楽器を始めても、こうしてオーケストラで楽しめるんだということを実証しているんだなと思います」。
その温かさが発揮されているのが、毎年つづけている養護学校へのボランティア演奏です。その1カ所は、重度の障害を2つ以上重複してもっている子どもたちが通学している施設。その子たちは、自分では声も出すことができないほどですが、この楽団にとって大切な聴き手なのです。
「よい演奏をすると、わかるのですね。からだをゆすって反応してくれるので、逆に私たちが感動させられます」と森谷さん。この施設のもう一方の聴衆は、その子たちのお母さんです。四六時中、その子にかかりっきりの生活なので、生の音楽を聴きに行く機会などない人がほとんどですから、毎年この楽団の訪問演奏を楽しみにしているのです。もう1つは、やや軽度な障害・病弱な生徒が通う養護学校。ここでは、演奏の合間にそれぞれの楽器の弾き方を披露したり、直接、楽器に触わらせて音を出させたりして子どもたちを喜ばせます。そんなアットホームな訪問が歓迎されて、老人施設などからの依頼も増えています。
また、ジョイントコンサートへの出演依頼もあります。千歳市のコーラスグループ(95年)、富良野市のジュニアアンサンブル(96年)との共演など。97年9月には「恵庭百年メモリアルコンサート」に招待され、地元の合唱団とともに百年記念賛歌を合同演奏しました。
12月23日、札幌市中央区かでる2.7ホールで「ゆきあかりコンサート」を独自公演しました。プログラムのメインは、ヴァイオリン曲の最高峰のひとつといわれるベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」第1楽章。北海道教育大学を卒業後、パリ音楽院に学んで最近プロデビューした坂本恵理さんをソリストに招いての挑戦です。つまり、初めてプロの演奏家との共演だったのです。団員は大張り切りで、ぜひ全楽章をやろうという声が高まりました。しかし、第1楽章だけでも演奏時間は25分、全楽章を通すと45分を超える大曲です。初心者も含む全員でこの曲を弾き通すにはまだ少し力が足りないということで、第1楽章だけにしました。ソリストの坂本さんはこの楽団の趣旨をよく理解して快く了承してくれ、何度も練習に参加してくれました。
このほかの曲目はワーグナー「タンホイザー」から3曲、クリスマスイヴの前夜でもあるのでモーツァルトやバッハ、ヘンデルの宗教曲、アンダーソンの「クリスマスフェスティバル」。指揮は当然、星さんです。
「私たちは、いつも未熟であるということを自覚しながらやっています。お客さんもそのことをよく知ったうえで聴きに来てくださり、熱意を込めている私たちの姿勢に励ましの拍手と言葉を送ってくれます」と語る森谷さんの言葉は、団員全員の気持ちでもあります。。後も初心者の加入を募りつづけ、4管編成の楽団をめざして、音楽を愛する人たちの底辺を広げていく役割を果たしていきたいとのことです。