ウェブマガジン カムイミンタラ

1998年01月号/第84号  [ずいそう]    

二種類の無知・無関心
上原 宗男 (うえはら むねお ・ 上原社会保険労務士事務所所長)

沖縄県の祖国復帰25周年を迎えた昨1997年夏、中小企業家同友会全国協議会第29回定時総会が那覇市で開催されました。地元中小企業家の問題提起によるいくつかの分科会のひとつは、「沖縄の歴史から日本を考える」がテーマの第14分科会であり、私も運営進行にかかわりました。

まず、「国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に米軍専用施設の75パーセントが集中している事実」があり、その現実が50年以上もつづき、このままでいくとさらに100年に及びかねない、という状況が厳として存在しています。

その推進の論理が「第2次世界大戦後、日本人が敵国に対して弾丸のたった一発も発射しないで『平和』が保たれ、日本人が安穏な生活を送れたのは日米安保条約のおかげであり、沖縄の米軍基地のおかげである。日本人全体で引き受けろというのはわかるが、いろいろ事情もあるので沖縄の人たちにはもうしばらく我慢してもらう。軍事基地と馴染んでもらいたい」です。

現日本国憲法が戦後の平和を支えてきた役割については、この論理の中では触れられておりません。そこまで話を広げなくても、われわれ県民に投げかけられるこの論理は、ヤマトによる沖縄の「歴史的差別」「政治的差別」の論理ではないでしょうか。

この論理の前段を肯定する立場の人だろうと、県民ならば、なぜ沖繩だけがこれほどに我慢しなければならないのかという疑問と意識は持っているのです。沖繩県民にとっては、立場・思想・信条の違いを超えて、生活実感の上からも米軍基地の縮小が共通の願いでもあるのです。

そうした提起に対する論議が進むなかで、他県の参加者から「おれは沖繩(人)を差別したことはない。いきなり差別、差別と言われても困る」という感情が、いくつかのテーブルにありました。

イソップのたとえ話を引用します。

池のカエルが言うのです。「坊ちゃんたち、あなたたちにとっては、私たちに石を投げるのは遊びに過ぎないかもしれませんが、私たちにとっては生き死ににかかわることです。どうぞ、石を投げるのをやめてください」。

無知・無関心はこの石にあたるのではないでしようか。相手に生き死ににかかわる苦難の生活、その対極に自己の安穏な生活がある。このことが客観的事実としてあるのに、気づかない状態に置かれている無知・無関心者には、差別の意識は自覚されないのです。

気づいて差別を意識し、なぜそうなったのか、どうすればよいか、と考え、行動をはじめたとき、差別を超えたヒューマンな関係が築かれます。

投げる石、差別者の無知・無関心は人を不幸にしつづけますが、無知・無関心者の無知・無関心も差別を永続させます。

◎このずいそうを読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net