ウェブマガジン カムイミンタラ

1998年05月号/第86号  [ずいそう]    

「いい加減」の大切さ
斎藤 睦子 (さいとう むつこ ・ 北海道読書アドバイザークラブ代表)

私ども夫婦には子供がいませんが、少し前まで夫は大学で、私は中学校で教員をしていましたから、近ごろの子供たちや学校については、しばしば話し合ってきました。

問題が起こるたびにマスコミで報道される専門家の意見や文部省の対応策には、どこか納得できない思いでした。そんな折、愛読誌で読んだ聖路加病院小児科の細谷亮太先生のご意見に、深くうなずきました。“「いい加減」の大切さ”というテーマで、細谷先生は『人間というのは、時にはウソをつくような生き物なんだ。けれども、とっても素敵で愛すべき存在なんだ』『良質の「いい加減さ」は、柔軟で流動的な態度と言い換えられる』と書いておられます。

亡き父母を思い出しました。「しっかり勉強しなさい」という母と「からだをこわしたら、なんにもならないョ」という父を。もしも父に「父さん、ウソをついたことがある?」ときいたら、確かな口調で「そりゃァ…、あるサ。ヒトだものなァ」と答えてくれたことでしょう、きっと。私は、そんな親たちから「いい加減の大切さ」をしっかり学んだように思います。

「いい加減」には、細谷先生の文中の「イイ加減ナコトバカリシテ」とか「イイ加減ナ人ダ」といった使われ方のほかに、「良い加減なお風呂」「良い加減な塩味」という、程の良さの意味もあると思います。たとえば、オフクロの味は、このイイ加減と良い加減が混ざり合ったもののように思います。何ccとか、大さじ何杯などという単位で計っては出せない、程の良いあんばいの味加減ではないでしょうか。

そういえば、昔、東京の教員養成大学を卒業するとき、恩師から「子供に教えすぎないように」とのはなむけをいただきました。先生や親の目の届かない、子供だけの世界や、ひとりの世界で子供たちが世の中を生き抜く力を培う大切さを思います。子供時代に、運を天に任せるといった「いい加減」さを会得させてもらったことを、とてもありがたく思う私です。

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