ウェブマガジン カムイミンタラ

1998年05月号/第86号  [ずいそう]    

古里の風景
加藤 博 (かとう ひろし ・ 札幌市こどもの劇場やまびこ座館長)

春、4月。車を運転して坂道を行くと、新しいランドセルを背負った1年生とわかる一団が、喜々として学校へ歩いてゆくのに出会う。なんの屈託もないにこやかな気色は、桜色にほんのりと赤い。躍動する体は希望に満ちてゴム毬(まり)のように弾んでいる。車を止める。

そうか、私が小学校に入学したのは60年も前になるのか―。小学校までは4キロメートル余、砂利道を川に沿って急いだなぁ。学校からの帰り道、1キロメートル余りの畑中の道は友達がいたが、十字路で別れてからは1人だった。川の土手は雪が融けていて、福寿草が枯れ草や薮(やぶ)の中にいちばん先に花を咲かせている。木の枝でほじくって、大事にハンカチで包んで家に持って帰って、母親に叱られたっけ。採るのはいいけど、ハンカチが泥だらけだから叱られても仕方がない。福寿草がなぜ好きなのかはわからないが、とにかく好きなのだ。

家の前の窪んだところに泉が湧いていて、その土手にもたくさんの福寿草があるが、まだ雪の下だから、スコップで堅雪(かたゆき)を1メートルぐらい掘る。倒れている笹や枯れ草の間に、薄緑色の親指ぐらいの芽を見つける喜びはたとえようもない。陽が沈む前に、雪穴を筵(むしろ)で蓋(ふた)をし、朝、天気が良いと筵の蓋をとる。きょうは咲くか、どれほど大きくなっているか、と期待に胸ときめかしたものだ。雪深かった山里の遥かな懐かしい風景に思いを馳(は)せる。

だが、そんな私の古里は、いまは無い。大型重機が、泉も小川も、その川筋の木も笹藪も、時に削り取り、時には埋めて平地にしてしまった。家の横を流れていた川は、コンクリートブロックが直線的に積み並べられ、排水路にされてしまった。国の農業政策とのことだが、住み処を追われた40センチもある雨鱒(あめます)や、半円形の手持ちの網で、いちどに1キログラム以上も獲れたカジカやドジョウは、どこへ行ってしまったのだろう。だから、私の古里はない。想い出の中だけに生きて、それは変わらない。

喜々として学校に行く1年生の4月、あの子たちの60年後、古里はどんな風景を見せるのか―。

近代化の掛け声のもと、合理性が生きた悪、生きる悪を想う。

私は、想いを振り切って、車を走らせる。

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