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1998年07月号/第87号  [特集]    旭川

三浦文学の神髄「ひかり・愛・いのち」をテーマにかかげて思い出の見本林にオープン
三浦綾子記念文学館

  旭川に生まれ、旭川で書き、生きつづけて多くの人びとに愛されている文学者・三浦綾子さんの記念文学館が完成して6月13日に開館。その式典と祝賀会が盛大に催されました。雪の結晶をシンボライズした建物の設置場所がデビュー作『氷点』の舞台になった思い出深い外国樹種見本林内とあって、三浦綾子・光世夫妻にとって喜びはひとしおの様子。いま、難病のパーキンソン病と闘っている綾子さん(76)は、文学館前でのオープンセレモニーに参集した人波を見て、思わず「うれしい」と喜びの言葉をもらし、会場を市内のホテルに移しての記念式典、祝賀会にも病身をおして出席しつづけ、多くの人からの祝福にこたえていました。

わずか2年半という短期間に寄せられた熱い思いと募金

イメージ(オープンセレモニー前のひととき、思い出深い見本林に親しむ三浦夫妻)
オープンセレモニー前のひととき、思い出深い見本林に親しむ三浦夫妻

三浦綾子記念文学館のオープンを間近にしたある日、三浦光世さん(74)は「家内といつも話していることですが、大勢の人びとの協力が、こんなにも大きな結果を生むものかと驚き、ほんとうに心から感謝申し上げているのです」と話していました。

イメージ(オープンセレモニー前のひととき、思い出深い見本林に親しむ三浦夫妻)
オープンセレモニー前のひととき、思い出深い見本林に親しむ三浦夫妻

というのは、2年半前の1995年秋に旭川市民の有志によって「三浦綾子さんの記念文学館をつくろう」という話がにわかに表面化し、呼びかけをはじめると、たちまち3千人を超える人びとからの賛意が寄せられました。そこで、その年の12月6日に、400人に及ぶ人びとの参集を得て三浦綾子記念文学館設立実行委員会の創立総会を開催するという早業を見せたのです。

募金運動が始まると、全国の三浦文学ファンから続々募金が寄せられました。その数は1万5千人を超え、なかにはこの2年半、毎月蓄えの一部を送りつづけてきた人もいます。ほどなく朝日新聞社、北海道新聞社、主婦の友社などからの寄金があり、昨年3月には旭川市と北海道が建設助成をするという決定があり、周辺自治体からの建設費支援もあって、9月に起工式を挙行するにいたったのです。そして、今年6月13日に開館しました。

そのことについて、館長に就任した高野斗志美さん(元旭川大学学長)は「三浦さんの文学とご自身の生き方に共感する人びとの熱い支持と、市民運動という形を原動力にして進めてきたことへの共感と賛同、そして支持が得られたためと考えています」と話します。

「三浦綾子記念文学館の最も大きな特色は、市民運動によってできあがったということです。この2年半、全国の三浦文学ファンのみなさんの厚情に加えて、地元市民の方々の献身的といえるほどの心強い支えがありました。膨大な資料、記録の整理や調査・点検作業、事務的なこと、さまざまな雑用業務にもそれぞれ自分なりに力を貸していこうという多くのボランティアの人たちの支援によって、ここまでこぎつけることができたのです」と、高野さんはスタートからの経過を語ります。

「この文学館のもう1つの特色は“ここに訪れる人の心が安らぐ文学館にしよう”ということです。それは、三浦綾子さんの強い意向でもあります。したがって、私たちも“人にやさしい文学館”とすることに気を配ってきたつもりです。館全体の展示についてもその思いをつらぬき『ひかり・あい・いのち』をメインテーマとしました。それは、訪れる方々が、あすに生きる希望をここから汲み取っていただきたいし、おたがいにいたわりあう気持ちをもっていただきたい。そして、なによりも一人ひとりのかけがえのない生命を大切にしていただきたい―、そういう思いを感じることのできる文学館にしようということで、このメインテーマを設定したのです」とそのコンセプトを語ります。

多面的で豊富な文学分野と信仰の枠を超えた普遍性

館長の高野さんは、日本の近・現代文学研究者であり、三浦文学についても多くの評論を発表している人です。

イメージ(記念式典であいさつをする高野館長)
記念式典であいさつをする高野館長

「1964年に『氷点』でデビューしてから33年を超える作家生活のなかで、その文学分野は非常に多面的で豊富です。『氷点』の系列に入るフィクションの世界、熱心なクリスチャンを描いた伝記小説、三浦さんの人柄を写すと同時に文学作品としても優れている自伝小説、ひじょうに数が多いエッセー類、そして講演もじつに多方面にわたっています。分野が広くて豊かだということは、あらゆる人に受け入れられる1つの要素ともなっています」と、その普遍性を評価します。

「三浦さんの文学は、人間いかに生きるか、の問題を扱っているのですが、それを哲学的にむずかしく言うのではなく、ひじょうに平明な言葉で表現しています。抜群のストーリーテーラーであり、その技術を駆使して人生の大問題をひじょうにおもしろく、わかりやすく書いてメッセージにする。そこが信仰の有無を超えて多くの人に読まれる要因であり、魅力なのだと思います」と言います。

三浦文学のなかで、最も多く読まれているのは『塩狩峠』です。

「この小説は、キリスト者を主人公として描いています。しかしそこでは、いかに生きるかという問題が、キリスト教を通じながらも、あらゆる人のものになっていく。三浦さん自身は、神の教えを述べ伝えるお手伝いをしているのだと謙遜しておられるが、三浦文学は単なる宗教の枠に閉じこもらない普遍性があるのだと思います」。

それに加えて、三浦さん自身の生き方も多くの人に感動を与えている要因であることを指摘します。

「戦争中は、天皇絶対時代の熱心な小学校教師であり、戦後、その価値観が崩壊したことで絶望に落ち込み、教師を辞職してしまいます。そのすぐあと病魔に襲われ、13年間という長いあいだ、脊椎カリエスと闘う病床生活を送ります。そのなかで幼なじみの前川正と出会い、キリスト者として洗礼を受けます。やがて前川正との死別。夫・光世さんとの出会いと結婚。そして、朝日新聞社の懸賞小説に応募した『氷点』が入選し、一挙に作家生活に入っていきます。それはまったく波乱万丈と言えるほど、ドラマティックで奇跡に近いような生き方だと思います。そのなかで仕事をしつづけている粘り強さと、一本筋を通した生き方。それが北海道の人の生き方なのかもしれませんが、そのことも多くの人びとの共感を呼び、さらに感動と、希望や勇気を与えるのではないでしょうか」。

すでに40年に及ぶ光世さんとの夫婦愛についても語ります。

「光世さんの存在、これはただごとではありません。綾子さんの存在は、光世さんの存在なしにはあり得ないだろうと言うことができます。おたがい同士が尊敬しあっている夫婦というかたち、それはバイブルから学んだと言います。そこには、おたがい同士を人格として認めあうという基本的な考えがあります。そして、たがいに祈りあうというか、敬虔な生き方をしあっている。あの夫婦愛は、他人には真似ることのできない、しっかりとした考えに裏付けられたものだと思います」と。

また、三浦夫妻の人柄については「ふたりとも、とてもユーモアのある方々ですよ。光世さんについても、むずかしい問題をあつかう作家を妻にもっている夫だということから固いイメージをもつ人があるかもしれませんが、そういうことはまったくありません。あの夫婦はカラオケが大好きで、よく歌います。そして、機智にとんだもの言いをしますし、よく笑います。ほんとうに親しみのもてる人たちでもあるのです」と言います。

旭川の自然と風土が三浦さんに作家の感性を育てる

旭川と三浦さんとの関係について語ります。

「三浦文学は旭川が出発点です。綾子さんは病気がちということもあったでしょうが、教員時代と療養期間を除いては、生まれてから現在まで旭川を離れたことがないのです。ですから、旭川をとても深く愛しています。三浦文学を考えるとき、作家である三浦さんが旭川を離れずに、この風土の中で自分の心や感性を養いつづけながら人生の大問題に取り組んできた。旭川という特定の場所に住みながら書きつづける三浦文学は、その場所を超えて北海道、日本、世界という普遍へ届いてゆく。三浦さんは、自分の書く場所をきっちりと持っている作家であり、その意味で旭川の自然と風土が果たした役割はかなり決定的に大きいと見てよいでしょう」。

見本林の新緑が輝くなかでオープンセレモニー

イメージ(オープンセレモニーで祝福を受ける三浦夫妻)
オープンセレモニーで祝福を受ける三浦夫妻

見本林が開林100周年の記念日を迎えた翌日の6月13日は、樹々が新緑に輝く、よく晴れた日でした。あまり広くもない文学館前のアプローチですが、400人がオープンセレモニーに出席しました。

イメージ(オープンセレモニーには約400人が参集)
オープンセレモニーには約400人が参集

「難病で介護を要しますが、いまは去年より明らかに調子は良くなっています。先日も、リハビリテーションに通っている病院の先生が、とても良い状況なのであと25年は大丈夫ですよ、と冗談を言ってくださるほどでした」と光世さんが言われるとおり、綾子さんはセレモニー前の記者会見にも出席し、思いのほか元気な姿を見せていました。セレモニーでは三浦綾子記念文化財団副理事長の後藤憲太郎さんが主催者のあいさつに立ち「レンガの1枚1枚を積み重ねるような、熱い思いを込めて支援してくださった1万数千人の願いと祈りの結果が、見本林の深い緑の中に、いま全容を明らかにしました。三浦夫妻の願いでもある、人びとに慰めと癒し、生きる力を与えつづけるため『ひかり・愛・いのち』をテーマに掲げて、再三訪れたくなるような文学館づくりに心血を注いできました。これはエンドポイントのない課題です。みなさんの助言、励ましにより、この文学館を通して世界に発信するメッセージに命を与えてください」と述べました。

設計監修にあたった大矢二郎さん(北海道東海大学芸術工学部長)は「設計は3人の若い建築士と1人のベテラン建築士でチームをつくり、建設は2社の共同企業体の手でおこなわれました。着工から引き渡しまでほとんど雪に覆われた季節でしたが、高い技術力と、三浦綾子記念文学館建設に携わるという誇りと雪をも溶かす情熱が、困難な仕事を成就させました。建物は、使う人によって花や木を育てるように育てられるべきものです。今後、運営する財団関係者、ボランティアのみなさん、三浦文学に接するために訪れる来館者の熱い思いが一体になって、この建物をいきいき育ててくださることを心から願っています」と語りました。

イメージ(木内綾さんら友人に祝福される三浦綾子さん)
木内綾さんら友人に祝福される三浦綾子さん

三浦光世さんが、綾子さんの言葉を代読するという形で「療養中に訪ねてきた三浦(光世さん)に女学校時代に訪れたとき、ここには沼があり、水に映る木々が揺れていたのが印象的だったと話したところ、三浦はこの見本林に私がふたたび来る日が与えられますようにと祈ったと申します。(ここで光世さんは自分の言葉にかえて、ギブスをはめて動けない堀田綾子の病気が治って、もう一度ここに来ることができないかと切実に思って、ひたすら祈ったものですと述べました)。私が13年間の療養生活から解放され、三浦と結婚した翌年6月に2人で初めて見本林に来て美瑛川のほとりでおにぎりを食べ、2人で神に感謝したことでした」と語ると、感動の拍手が起こりました。綾子さんは参集者に向かって「ありがとう」と謝辞を述べました。

イメージ(10人の関係者によって、三浦文学ファン待望のテープカット)
10人の関係者によって、三浦文学ファン待望のテープカット

いよいよテープカットです。三浦夫妻は8人の関係者とともに紅白のテープにハサミを入れました。

「この文学館から“希望”が伝えられるなら、ありがたい」

イメージ(市民運動の成果で達成した文学館の完成を祝う人たち700人が会場を埋め尽くす)
市民運動の成果で達成した文学館の完成を祝う人たち700人が会場を埋め尽くす

そのあと、会場を市内のホテルに移して記念式典が、文学館建設に寄せられた多大な支援に謝意を表明する高野館長のあいさつによって幕を明けました。次いで設立実行委員会事務局長の志賀健一さん(旭川冨貴堂社長)が、設立運動と工事経過についてくわしく報告しました。文学館の維持運営のために賛助会員制度を設け、現在1千人を超える支持があること。ボランティア組織・おだまき会が発足して、約140人の協力者がそれぞれ班に分かれて来館者へのガイド、資料整理、各種サービス部門の任務などを分担する体制が整いつつあることも報告しました。

ついで、三浦光世さんがふたたび綾子さんの言葉を代わって伝えてくれました。

イメージ(志賀健一さん)
志賀健一さん

「三浦綾子文学館を建てたいというお話は以前からありましたが、自分の名を冠する文学館などとても恥ずかしいことだからと辞退していました。しかし、いままで書いてきた作品の背後の記録や貴重な資料がたくさんあるはず。その作品をみなさんによく理解していただくためにも、ひとつに集めておく責任が、三浦さんと同じ旭川に住む私たちにはあるのです。それは旭川の1つの歴史でもあり、公のものとなるのだから、ぜひ理解してほしいといわれました。考えてみると、小説が書けたこと、数多くの病気と闘ってこんにちまで生き永らえていること、どれひとつとっても自分の力ではありません。ときには、三浦さんの作品を読んで人生が変わったと書いてくださった人もありました。たしかに私は絶望して自殺未遂をしたこともありましたが、そこから希望が与えられて人生を送ってきたことを小説やエッセーにも書いています。どのようにして私が絶望を希望に変えることができたか。そうしたことが、この文学館から伝わっていくのでしたら、それはたいへんありがたいことだと感じています」と。

イメージ(五十嵐広三さん)
五十嵐広三さん

そのあと、それぞれに設立運動をリードしてきた実行委員会の代表委員が次々にこの日の感慨を述べあいました。五十嵐広三さん(元内閣官房長官)は、綾子さんを振り返りながら「今日、この日を迎えていちばんうれしく思うのは、三浦綾子さんが頑張られて、お元気で、この開館をみんなとともに迎えることができたということです」と、眼をうるませたとき、会場に共感の拍手がわきました。そのあとに、ここまで築き上げるためともに尽力してきた実行委員一人ひとりの名を挙げながら「3年近いあいだ、忙しい自分の仕事時間をこの作業のために費やし、ボランティアで頑張ってくださったみなさんの活動は、三浦文学の心をそのまま写したような行動であったことを報告いたします。ほんとうにお世話になりました」と心を込めたねぎらいを贈りました。

イメージ(小林勝彦さん)
小林勝彦さん

小林勝彦さん(元鷹栖町長)は「トルストイは“芸術は魂と魂の交通である”と言ったが、この文学館が三浦さんのすばらしい魂と、訪れるみなさんの魂が交流する場として発展することを願っています」と。

イメージ(山川久明さん)
山川久明さん

山川久明さん(旭川商工会議所会頭、(株)山川組社長)も「今世紀に、旭川が来世紀に残していくものが2つある。1つは、中原悌二郎を中心に近現代の彫刻史を概観することができる旭川彫刻美術館。もう1つがこの三浦綾子記念文学館。三浦さんの父・堀田さんは新潟の出身。私も新潟出身なので早くから親近感をもっておつきあいをしてきました。綾子さんは高名になっても旭川を離れず、常にわれわれの身辺にいて、あたたかい人間関係を大切にした生活をしておられる。また、あたたかい夫婦愛を示してくれる光世さんのような人を旭川市民に持ったことを誇りに思っています」と語りました。

来賓の真田俊一北海道副知事、菅原功一旭川市長から心のこもったあいさつ、花束贈呈、お祝いのスピーチなどがつづきました。朝から5時間も経過しているというのに、いちども場をはずことのなかった綾子さん。この日がほんとうにうれしい1日であったことをうかがわせました。

三浦文学の魅力と生き方を広く伝える拠点

イメージ(第2展示室〈作家への道のり〉から第3展示室〈『氷点』の世界へ〉)
第2展示室〈作家への道のり〉から第3展示室〈『氷点』の世界へ〉

三浦綾子記念文学館は5つの展示室に分けられています。

イメージ(『銃口』の原稿と資料)
『銃口』の原稿と資料

第1展示室は「三浦文学のすべて」。小説33冊をはじめ、自伝・エッセーなどを単行本、文庫本、翻訳本など300冊以上の著作を一堂に展示しています。第2展示室は「作家への道のり」。自伝誕生から作家になるまでの足跡を辿っています。「草のうた」「石ころのうた」「道ありき」「この土の器をも」の四部作に沿うように写真や作文などで原点に迫ります。第3展示室は「小説『氷点』の世界」。一大ブームとなった魅力とその時代を思い起こします。第4展示室は三浦さんの描く多彩なジャンルを多角的に紹介しています。『塩狩峠』や『銃口』などの取材ノートや原稿も目にすることができます。第5展示室は三浦夫妻の日常生活、執筆生活、取材旅行など、光世さんとの強いきずなで結ばれている日常がほのぼのと伝わってきます。

イメージ((館内図))
(館内図)

また、館内には障害のある人のための気配りが随所になされています。段差をなくし、各出入り口には自動ドアが取り付けられ、車椅子でも気軽に入ることができます。また、階段の手すりには上りきり、下りきりがわかるようにと点字シールが貼り付けてあります。

全国にインパクトを与えるメッセージの発進地に

イメージ(木内和博さん)
木内和博さん

三浦綾子記念文学館は、今後どのように運営されていくかも課題です。設立実行委員の一人として発足当初からこの市民運動の推進に力を注いできた木内和博さん(優佳良織工芸館館長)は「これまでもこの文学館をどのようなコンセプトで運営していくかをみなさんとずいぶん議論を詰めてきましたが、それに近づける努力をこれからも積み重ねていかなければなりません。開館したあと2年くらいまではぜひ見ておきたいというお客さんはたくさんいるでしょう。しかし、3年目以降はきびしく考えて、どのようにしていきいきした文学館として持続させていくかを、スタッフが絶えず先へ先へと考えて前に進んでいかなければ発展的な維持管理はむずかしいと思います」と、今後のあり方にエールを送っています。

運営方法についても、高野さんは次のように語ります。

イメージ(高野斗志美さん)
高野斗志美さん

「財団法人の方式はとっていますが、あくまでも民立・民営なので、市民の方々に支えられてこれからも発展していかなければならないという性格を、誕生の時からもっています。つまり、公立の後ろ盾がある文学館ではないので、自分たち自身で財源を確保しながら運営していくことになります。そのため、地域や市民の応援をぜひとも必要としている、ということになります」と、“市民立”による文学館運営のむずかしさをのぞかせます。

「この文学館の今後は、市民にひらかれ、市民とともにある、年度ごとの事業計画と活動をするかにかかっていると思います。私たちとしては、この文学館が三浦綾子さんの仕事を称えて、これを内外に紹介し、それを保存して後世に伝えていくと同時に、旭川の文学や芸術・文化にインパクトを与え、さらに北海道、日本全体の文化・芸術に大きなインパクトを与えていけるような、そんなメッセージの発進地にしていきたいと願っています。今年はとりあえず、三浦文学の作品を読む勉強会、できれば講演会などをもちたいと思っています。また、今年度は無理でしょうが、若い人たちを対象にした作文コンクールとか、三浦文学を含めた日本の現代文学について考えあうようなシンポジウムをおこなうなど、できるだけ多面的な事業計画に基づいた運営をしていきたいと思っています」との抱負を示しています。

関連リンク三浦綾子記念文学館  http://www.hyouten.com/

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