「リーズナブル」という言葉があります。「reason」に接尾辞「able」を付けて「原因、理由」が「ある」。つまり合理的な、妥当な、道理にかなった、理に適ったなどと訳されています。
私は、この言葉が好きです。好きと言っては少しおかしいのかもしれないけれど、なんとなく英語らしく、なんとなく気品を感じるのです。「リーズナブルな価格だ」と言うと、その商品の価格の由来が見えて、商品の原材料費がいくらで、人件費がかかって、適正な利益を加えた、まさしく理に適った価格だと納得してしまいそうです。
かつてオイルショックのころ、狂乱物価がまかり通り、大手商社がぼろ儲けをして、かなりの利益を得ていたことがありました。当時は大手商社ともあろう企業が、と義憤を感じたものです。企業としてリーズナブルな対応がいまこそ望まれるべきだと感じました。
バブル経済が華やかなりしころ、株などの資金運用により多大な利益を上げていた企業が多く、社員までもが真面目に汗を流して働くより、株の運用益で生計を立てたほうがいいという、そんな風潮がまかり通る始末でありました。ほんとうに、これで良いのか、何か間違ってはいないか―。
一方、日本がGNP世界第2位ともてはやされ、賃金がうなぎのぼりに上昇していたころ、私はどうしても納得できませんでした。資源も国土もない島国で、知恵や汗を出さないでGNP世界第2位を保持することはできないはずです。もっと勤勉に、知恵を出すことが日本経済にとって、よりリーズナブルな行動規範ではないでしょうか。
昨今の日本経済は、どのように閉塞感を打開するかが問題です。いろいろと方策も提示されているが、いまいちです。「規制緩和」による方法も1つでしょう。本来、自由主義経済では規制などないはずで、そこに規制を設けているのは、ある種の規制により、経済活動を保護育成しているためなのです。規制緩和はたしかに経済活動を活性化させ、新規企業の参入を助長するでしょうが、ある面での経済の担い手である中小企業にとっては逆に大きな脅威でしょう。規制緩和が万能ではない、実行にもリーズナブル対応があってこそ、本来の意図が全うされるのです。