北海道に移り住んで13年ほどになる。都会生活が嫌になり、逃げだしてきた。最初は、札幌にアパートを借りていたが、北海道に来てまでなんで、というご他聞にもれない“内地人”の思い込みもあって、翌年には大雪山の麓のまち・上川町に一軒家を借りた。一軒家というと聞こえはいいが、離農して何年も経つ、廃屋そのものの家だった。屋根近くの板壁は外れ落ち、畳もすべて撤去されていた。金をかけずに自己流の修復をしても、朝、室内のどこかには雪が吹きだまっているような家だった。薪ストーブを設置し、壊れていた五衛門風呂も入浴可能にした。電気を入れるとき、電柱が一本新築されたのには、文明に対して、滅多にもたない感動を覚えた。現代の便利さ追求に逆行した生活は、周囲にも十分な好奇心をかき立てたようで、近所の人びとの不用品で、生活用具はほぼそろった。
農家の仕事を手伝うことを条件に、無料で借り受けた家での生活は、今まで味わったことのない出来事の連続だった。仕事が終わってからの慣れない風呂焚きは、煙ばかりが出て、ちっとも沸いてくれなかった。そんな時でも、開拓時代の暮らしをちょっと共有したかのような心持ちとなり、楽しさへと変わっていた。
大雪山での山の仕事にかかわりだしたのも、このころだ。当時、仲間のあいだでは『同じ釜の飯』感覚がまだ生きていて、それが非常に新鮮だった。山での人との出会いも、人も動物であったことを思い出させてくれるかのように、お互いの臭覚を使いあって、関係がはじまった。なかには、人間の域を越えているような『絶滅種』に属するかと思われる人びともいた。山の上が不便そのものでもあったから、こんな交流を持ち得たのかもしれない。自然、人、ともに大雪山は魅力に満ちていた。
このごろ、そういった生活から遠のいている気がして、どうも気になる。当然のようにしていたことが、努力を必要と感じだした。そのことが、単に年齢のせいならともかく、夢を失いだしているのだとしたら、これは問題だ。
大雪山よ、いつまでも不便であれ。
いつまでも自分を計る尺度たれ。
大雪山がとりもってくれた人びとのおかげで、今も山で生計をたて、麓で暮らしている。