1998年5月30日土曜日の朝、匂うようなエルムやイチョウの新緑に囲まれた北海道大学法学部の棟に、学生とは違う大勢の人が次々と入っていきます。駐車場には、大きなパラボナアンテナを積んだ地域衛星通信ネットワークのテレビ中継車「たんちょう号」も待機しています。4年目を迎えた北海道町村会『地方自治土曜講座』の第1回講座がまもなく開講するのです。
2階のロビーには2台のモニターテレビが背中合わせに設置され、その前にソファーが配列されています。会場に入りきれない人は、このテレビ放送で受講できるようにしたものです。またケーブルテレビで全道に放映されることになっています。
法学部で最も広い8番教室は約280人の収容力ですが、三方の壁ぎわに補助イスを並べても300人程度が限界です。やはり教室に入りきれない人が出たのです。受講者の中には、根室管内や網走管内、あるいは檜山管内などの400キロを超す遠距離から仲間とクルマの運転を交代しながら参加する人もいます。そればかりか、宮城県町村会から参加した女性職員の姿も見えます。
午前10時。北海道町村会の川村喜芳常務理事の開講あいさつのあと、早速、第1講「議会活動とまちづくり」がはじまりました。講師は北海学園大学法学部の森啓(けい)教授(地方自治土曜講座実行委員会委員長)。ここでは分権時代のまちづくりに果たす地方議員の役割の重要さと議会改革への期待がテーマでした。午後からの第2講は、全国で最も若くして首長となったニセコ町長の逢坂誠二さんが講師です。現場から自治の課題とこれからの取り組みのあり方を講演しました。このあと10分間の休憩をはさんで「質問と討議」。風連町の職員である桑原隆太郎さんがコーディネーターとなり、2人の講師と受講者からの質問によって、さらに議論を深めていきました。
このときの様子を宮城県から参加した矢野由美子さんは、北海道町村会企画・編集の政策情報誌『フロンティア180』に次のような感想を寄せています。
「第1講の森先生の講義は密度が濃く、テーマである議会活動の問題点はどの組織にも通じることで、私も自治体職員として、一市民として自分を見つめ直すことができました。第2講の逢坂町長の講義は、役場の実情が具体的に語られ、とても興味深く聞かせてもらいました。これまで、首長の話は有権者を意識した差し障りのないものが多かっただけに、逢坂町長のように前向きで明快な話をされる首長がいらしたことがうれしかったです。質問と討議でも会場から積極的な発言がつづき、みなさんの熱意を感じました。先生がたの丁寧な説明や、コーディネーターの適切な仕切りもすばらしかったです。出席者が講師の発言に反応して笑い、うなずきながら聞き入る姿に熱気を感じ、森先生の“自分と同じくらい地域のことを考えている人がこれだけ多く集まっている”との言葉にハッとして周囲を見回しました。往復2泊3日の行程ですが、やっぱり来てよかったと感動いっぱいの土曜講座でした」(要旨)。
『土曜講座』は毎月1回開催され、どの講義も出席者が減ることなく、熱心な学習ぶりは、まさにさわやかに感じられました。
スタート当初の講座は原理論的なテーマから入りましたが、順次、具体的なテーマが取り上げられるようになりました。たとえば、分権時代の到来を背景にして自分の自治体独自の政策と立法上の問題を研究する政策法務や自治体独自の事業別予算の問題など。さらに産業廃棄物問題や介護保険の問題など、国の立場からではなく、地域の側からその制度についてどう考えていくかについて、体験を持つ人を講師に迎えることも多くなりました。
その年々の講座にメインテーマは設定しませんが、今日的な問題に取り組むなかで開かれるだけに、ある特色は見えてきます。98年のu座の場合は、自治体法務や分権時代の政治や地方議会のあり方などに加えて、地域産業の振興や金融改革と地方自治の演題にも関心を寄せらました。
6月開講の第2回講座で島根大学の保母武彦教授は、地域発展政策として(1)45歳以下層のU・Iターン(2)高学歴化した青年をも吸収できる職種の開発、(3)地域にふさわしい生活の価値観(農山漁村ライフなど)をポイントに置き、地域のグランドデザインを住民の創意でつくり、住民参加を最大限に拡大して、そのエネルギーと創造性に依拠した地域産業の振興を図ること。そして官依存ではない、農山漁村自前の発展努力、農山漁村と都市との連携、国家による新しい農山漁村維持政策を結合した政策を遂行すること。公共投資についても「量」から「質」へ転換し、地域産業と農山漁村ライフの形成に向かうことの必要性を説いていました。また、北海道大学の金井一頼教授は「戦略に、地場の多様な知恵とエネルギーを活かすシナリオづくりの必要性」を強調していました。
驚くほどの猛勉強ぶりが発揮されたのは、上川町と層雲峡で開催されたサマーセミナーでした。第1日の講義は午後1時15分から午後5時05分まで3講座通しで開催されました。そのあと、層雲峡温泉のホテルへバス移動。夕食もそこそこに、夜7時からフォーラムが開かれ、パネリストたちの熱心な討論に引き込まれて参加者の質疑も活発。コーディネーターの森さんがまとめをし、「以上でフォーラムはひとまずお開きにして、これから明け方まで(あすの講座の体力を残してですが)おおいに語りあいましょう」とあいさつした時は9時を過ぎていました。それぞれが部屋に分かれたあとも、森さんの言葉に忠実に従ったグループも多かったようです。
2日目は朝8時45分に第1講が開講され、全プログラムが終了したのは午後0時30分でした。参加者は、自分のまちへと帰って行きます。沿岸部の町村に帰る人はクルマなら6時間近く走らなければなりません。礼文町や仙台から参加した人は、自宅に着くのは月曜日の朝になるのでしょうか。礼文町の古川照和さんはいいます。
「礼文島を最終便のフェリーに乗り、稚内から夜行列車に乗り継いで朝6時に札幌駅に到着。北海道町村会が入居しているポールスターでシャワーを浴びて、休憩のあと、会場の北海道大学へ。講義終了後、ちょっと札幌の空気を吸ってまた夜行列車に乗り、朝6時に稚内到着。ふたたび朝のフェリーで礼文島に帰る2泊3日の行程です」と。
「土曜講座を開設しようと具体的に検討しはじめたのは、1994年の秋のことです。それには前段があります。私が自治研修所長を経て北海道町村会の常務理事に就任した91年のある日、南幌町職員の嶋田浩彦さんが突然やって来て“町村職員の勉強会をしたい”と相談を持ちかけてきたのです。嶋田さんは北海道自治体学会で活動している若き自治体職員の1人です。札幌近郊の学習意欲のある職員30人ほどがポケットマネーを集め合って勉強会を開いたのは93年3月のことでした。第1回の講師に招いたのが木佐茂男さん、第2回は神原勝さん、第3回が森啓さん(ともに北海道大学法学部教授)など、のちに土曜講座の常連講師となる先生がたでした。そのころ、町村の若い職員と話していて感じたのは、学びたい職員が大勢いるのに研修の場がないという、悲鳴にも似た声でした。その後、94年の秋に北大教育学部の山田定市教授から、北海道地域リカレント教育推進協議会(会長・丹保憲仁北大総長)を設立するので協力して欲しいという要請を受けました。早速、渡りに舟と土曜講座を立ち上げたのです」と、川村さんは開講までの経緯を話します。
いよいよ事業計画を組むことになって、受講者がどれほど集まるかが心配でした。ふつう、市民大学講座などは20人前後の受講の場合が多いといわれています。嶋田さんに相談すると「ぼくのネットワークだけでも50人くらいは集められますよ」という力強い返事。そこで川村さんは、いちおう100人を想定した事業計画と予算案を理事会に提出し、4月早々、6月3日の開講に向けて受講者募集を開始したのです。
「まあ、100人も集まれば成功のつもりでしたが、募集を開始した翌日から電話は鳴り放し。たちまち100人を突破し、このままでは500人にも達しそうな勢いでした。それでは会場の確保がたいへんです。やむなく300人で打ち切ることにしましたが、最終的には74市町村から360人の自治体職員が受講することになったのです。当初の見込み数に比べれば、じつに5倍という驚くべき応募者でした」と、川村さんは当時をふり返ります。
6月3日の開講の日、急きょ変更し開講した北海道大学法学部8番教室はまさに熱気にあふれていました。『開講あいさつに立った森さんは“中央依存の開発政策が行き詰まり、地域の身の丈に合った生活密着型のまちづくりが必要なことに気づいた自治体が増えた”と盛況の背景を分析した』と当時の新聞は報じています。
「土曜講座開講の企画は自治体職員の心にこだましたのですね。時代の大きな変革の兆しが現実となりはじめた、象徴的な出来事だったと思います」と森さん(現北海学園大学法学部教授)は語ります。たしかに、道内212市町村にとってこれはひとつの大事件でした。
翌年、無制限に受講者を受け入れたら、152町村から870人が集まり、第1回講座は札幌市・厚生年金会館ホールを借りました。第2回講座以降は北海道大学教養部の500人が収容できる旧教養部の大講堂を借りたのですが、ここにも入りきらず、隣の教室も借りて2会場を同時並行で開講することになりました。講師は1つの教室で講義が終わったら、すぐ2つめの教室に移り代わって同じ講義をするという、綱渡りをこなすはめになったのです。
3年目の97年は500人で締め切り、旧教養部の一会場だけでの開講にしぼりこみました。夏のイベントシーズンの土曜日に、公共集会施設を定期的に確保するのは至難のことなのです。森さんは、それを承知のうえで「受講希望者は断らないでよ」と言いつづけていました。
「4年目も450人以上の申し込みがあったのに、350人ほどで締め切らざるを得なかった。やっと確保した法学部の教室は300人しか収容できないからだというのです。じゃあ、教室の通路や黒板の下、演壇の周囲にも座ってもらえばいいじゃないの、と言ったんです。事務局はむちゃだと言います。あとで参加者からクレームのつくのを恐れるのですが、わたしはそうしたいのだと言い張ったのです」と、森さんはその真のねらいを熱っぽく話します。
「机の横の通路や演壇のまわりにずらっと受講者が座っていて立錐の余地もない。黒板の下ではチョークの粉が降って来るので、新聞紙を頭に被って座っている。少し遅れて来た人がそんな光景を見たとしたら、怒ったり文句を言うよりは、まずその迫力に驚くのです。講義の内容も大切ですが、そのありうべからざる状況をつくるのが、すごいことなんですよ。それが、爆発的な地方自治土曜講座の意義を歴史に残すことになるのだから、ぜひそうしてくださいよとお願いしておいたのです」。
当日、演壇のまわりや黒板の下に受講者が座る姿はなく、森さんの夢は実現できませんでした。しかし、やはり教室には入りきれない人が出て、隣のロビーで2台のモニターテレビを見ながら受講する人が30人以上もいました。
「国家があっての地方自治なのだから、国が法律を決めれば地方自治体はどんなことがあっても従わなければならない。それが法治主義なのだ―といった長いものには巻かれろ式の価値観、価値軸を根底から変革することが自分のまちを良くすることなのだと、立脚点の転換をめざすこと。ともすれば、口先では立派なことを言いながら自分は責任を被らない安全地帯にいて、慣例を変えようとはしないのが公務員という不信感を住民から持たれている。そんな公務員が、自ら政策立案能力を持ち、実践するために自治体理論を身につけた自治体職員に変わるためにはカルチャーショックが必要ですが、そのきっかけづくりが土曜講座の命です。そして、もうひとつの命は、ここに集まり、学ぶ職員の熱気です」と、森さんは土曜講座の持つ意味を示します。
「土曜講座は、森先生の独特な個性と情熱によってここまで引っ張ってきてもらっていますが、いまの形をつくり、育ててきたのは、もうひとつ、市町村職員自身ではなかったかと思います」と、川村さん。
「いま、地方分権が論議されていますが、それには背景があります。戦後53年を経って、税金で解決していく公共課題としての道路や橋、ダムを造ったり、公共施設を建て直したりといった土木・建設中心の上物(うわもの)づくりはある程度達成され、これからは質の求めに応じていかなければならなくなった。たとえば、老後を安心して暮らせる福祉の仕組み。深刻な家庭廃棄物や産業廃棄物の問題。都会に出て行った子どもがふるさとに帰って働きたいと思ったときに、彼らが生活できる所得が得られる産業が地元に存在するか。自分たちの住んでいる都市や農漁村の景観を美しくしていこうという新たな公共課題には、無駄の多い中央集権の仕組みでは対応できません。社会の構図が変わってきた。そのことによって生じている公共政策の内容、質が変わってきた。そのため、分権社会に移行せざるを得なくなったのです」と、森さんはいまが成熟社会への転換期にあることを示します。
「すると、都道府県、市町村にいて法律や規則だけで仕事をしていた地方公務員集団も、従来の仕事の仕方ではだめなのだと、何らかの成果を出すところが少しずつ増えてきたのです。それを見て、あそこは自立した知恵をはたらかせた、国の言いなりでないやり方をしているようだと明確に確認はできないけれども、なんとなく気づきはじめた。それが“潜在的学習熱の高まり”としてあるのです。土曜講座の企画は、そうした時代対流に合致していたのです」とも語ります。
では『土曜講座』は、この4年間にどんな成果をもたらしているでしょうか。
「私がいちばん価値ありと思うのは、学んだことの知識よりも、学習しなければと思っている前向きな、意欲的な町村職員が土曜講座に来て、自分以外にも学ぼうとしている意欲的な人がこんなにもたくさんいることを知ったことだと思いますよ。名前を知り、話をして、その内容に感心させられたり共感しあえる人に出会えたことが、自信につながるのです。もう1つの成果は、役場の中における自分の役割、自分の担当していることの重要さ、地域社会に対しての責任の重さ、そこには可能性のあることが、見えはじめた、感じはじめた、意識しはじめたことが大きいと思いますね。そして、講師の話や先進的な事例を聞いて、ものの見方の角度や判断の基準、枠組みの考え方を自分で学び、身につけたことだと思います」と森さん。川村さんも語ります。
「北海道の自治体職員は約10万人いますから、土曜講座に参加する職員はまだまだ少数です。しかし、常連となった人たちが、新しいまちづくりや自治体改革の動きのキーパーソンとして各地で活躍しています」と。
97年5月に「地方自治土曜講座インくしろ」がスタートしました。98年には「オホーツク地方自治土曜講座」も開かれ、現在では道北地域、空知セミナー、十勝地域、檜山を中心にした道南地域でも開講するまでになっています。これは、ブロックごとに自治体職員が自主的に協力し合って企画しているのです。また、受講者のなかには自分のまちでグループに呼びかけて勉強会をしている人もいます。そうした広がりの中に、まちを、地域を変えていくエネルギーを感じます。
'98年地方自治土曜講座
第1回講座・5月30日
「議会活動とまちづくり」森 啓(北海学園大学法学部教授)
「自治の課題とこれから」逢坂誠二(ニセコ町長)
質問と討議 コーディネーター桑原隆太郎(風連町)
第2回講座・6月27日
「内発的発展による地域産業の振興」保母 武彦(島根大学法文学部教授)
「地域の産業をどう育てるか」金井一頼(北海道大学経済学部教授)
質問と討議 コーディネーター中島興世(恵庭市)
第3回講座・7月25日
「金融改革と地方自治」宮脇 淳(北海道大学経済学部教授)
「ローカルデモクラシーの統治能力」山口二郎(北海道大学法学部教授)
質問と討議 コーディネーター伊東和紀(道庁)
サマーセミナー・8月29日~30日(上川町・層雲峡)
第1日目「政策立案過程への『戦略計画』手法の導入」佐藤克廣(北海学園大学法学部教授)
「市民から自治体職員に望むこと」神原昭子(日本消費者連盟運営委員)
「変革の時に思うこと、願うこと」磯田憲一(北海道総合企画部政策室長)
フォーラム (会場・層雲峡ホテル大雪)
「情報公開制度と政策評価を巡って」
パネリスト 佐藤克廣、神原昭子、磯田憲一、片山健也(ニセコ町)コーディネーター 森 啓
第2日目「分権時代の自治制度・自治基本法の構想」辻山幸宣(中央大学法学部教授)
「地方分権・国内外の状況」大和田建太郎(ジャーナリスト)
対談「分権改革のこれからの課題」辻山幸宣、大和田建太郎
第4回講座・9月19日
「分権時代の政策法務」礒崎初二(神奈川県福祉部福祉政策課主査)
「地方分権と法解釈の自治」兼子 仁(東京都立大学法学部教授)
質問と討議 コーディネーター秦 博美(道庁)
第5回講座・10月24日
「市民的自治思想の基礎」今井弘道(北海道大学法学部教授)
「少子・高齢社会と自治体の福祉法務」加藤良重(小金井市福祉保健部長)
「自治体基本条例の展望」辻道雅宣(北海道地方自治研究所研究員)
質問と討議 コーディネーター嶋田浩彦(南幌町)
北海道大学法学部教授
今井 弘道さん
地方自治の問題はいわば門外漢ですが、非常に多くの実務者が1日間の講義に遠くから泊りがけで来ていたことに驚き、しかも綿密な勉強をしている人たちの熱気を見て、感銘を受けました。
私は法哲学的な目から見て、世界とか国家とか、地方や社会がどういう意味合いをもって浮かんでくるかというお話をしました。その意図をよくわかっていただき、懇親会の時にもそのことについてお話をしてくれる人がいたりして、非常に楽しい時間を過ごすことができました。私も地方自治の問題を勉強し、それを法哲学に活かすことを考える機会になり、違った分野の人との交流はとても刺激的でした。
最近、「グローカリズム」という言葉がよく使われます。たとえば、ごみ処理の問題は同時に地球環境の問題でもあるように、世界的レベルの問題とローカルの問題が同時に進行していく時代です。そういうなかで行われる土曜講座は非常にタイミングよく、貴重な講座だと思いました。
風連町・町史編さん室
桑原 隆太郎さん
体系的な自治の理論と、現場の実務の両方を、いまいちばんタイムリーなテーマを連続的に学ぶ機会なので、私たちにとっては願ってもない、私たちにとっては願ってもない、すばらしい講座です。
森先生が常々強調されるように、われわれ職員は地方公務員から自治体職員に脱皮すべきですし、地域に住んでいる人も従来型の住民から公共性を自覚した「市民」へと変わっていく。そういうベクトルが双方に求められる時代がやって来たのです。
土曜講座は、もう4年間の学習を積み重ねてきました。私の希望としては、これまでの第1人者の講師の理論学習に加えて、道内の自治体職員を講師にして、たとえば介護保険の問題とか財政の問題、そのほか現場が抱えている問題や実践の様子を報告しあったりアピールする機会があれば、より身近で具体的な講座になるのではないかと思っています。理論と実践とがかみ合った形でしっかりと学んでいれば、困難な問題にぶつかったときも、動揺したり、ブレたり、失望したりすることのない強さを身につけることができると思っています。