今年はゲーテ生誕250年に当たるので、ドイツでは記念の催しがたくさん準備されているようだ。ゲーテの数ある詩の中で、われわれ日本人に一番なじみの深いのは「野ばら」ではないだろうか。「わらべはみたり…」と始まるこの歌をうたえる人は多いと思う。しかも、2つのメロディーで。軽快なリズムのシューベルトと、ゆったりしたウェルナー曲。この詩には、じつは90曲ものメロディーがある。
シューベルトとウェルナー、どちらの曲もはじめて日本に紹介されたのは明治時代であるが、その時の訳詞は、原詩の内容から離れた替え歌であった。ちなみにゲーテのこの詩には、森鴎外をはじめ当時の名だたる文学者・詩人が競って訳を試みている。メロディーとは無関係に。
「わらべはみたり のなかのばら…」という近藤朔風の訳は明治42年であるが、やさしい言葉の七七調のリズムが曲に合い、音楽教科書に採用されて、特に戦後になっておおいに歌われた。2つのメロディーは広まったが、一方、訳詞のおかげで、荒野に咲く野ばらの美しさ、可憐さを愛(め)で、折り取られる運命を嘆き、あわれむ気持ちを歌った詩…と思われてしまった。
しかし、ゲーテの原詩の内容はそう単純なものではない。これはもともと少年・少女の恋の詩なのだ。詩の中心にあるモチーフ「トゲのあるバラ」「バラを手折る少年」の比喩、つまり愛の至福と苦しみをあらわす言葉は、古く12世紀の文献に遺されており、以来ヨーロッパ各国の詩人たちが好んでとりあげてきた。17世紀初頭に編まれた歌集の中に「彼女はバラの木によく似ている、だから彼女はわたしの心の恋人。わたしもおまえを愛する、野べのバラよ。 バラを手折るのは、野べのバラよ、年若き少年であろう。…」という民謡がある。民謡蒐集家・研究者エルクは、この歌がゲーテの「野ばら」の手本となったのは疑いの余地がないと明言している。またゲーテの友人でもあり師匠格でもあったヘルダーが「子どものための古い歌謡」として発表した「野ばら」も、ゲーテに影響を与えたことは確かである。21歳のゲーテと18歳のフリーデリーケとの恋が創作の動機となり翌年「野ばら」がつくられたが、最終的に洗練された芸術詩にまとめ、自作の詩として公表したのは40歳の時であった。
「少年と花との出合いは、人間存在のひとつの原情況をうつし出している。若い男女の出会うところではどこでも繰り返され、人間の欲望と、はつらつと自然で道徳的な価値観とが拮抗しあうところ、この詩が語る対立はどこでも感じられる。この詩が世界的に広く影響を及ぼし、多くの国々や民族に受け入れられたのも不思議ではない」(元国際ゲーテ協会会長ハーン教授)。
このような魅力ある詩であるからこそ、200年にわたって90人もの作曲家が曲をつけたのも、むべなるかなといえよう。