今から120年前の北海道内の旅を、松浦武四郎という人の日誌紀行で読んで、そのゆかりの地に立って、自分で確かめてみたい、という想いを持つようになってから、かれこれ20年にもなる。そして毎年のように、雪が解けるころから、取材旅行と称して、年に2、3回は家をあける。昔の武四郎の旅は、乗物といえばせいぜい馬か、海岸を舟、それもたいていは自分の脚を使っての旅であった。いま、そのおおよその道筋に、ジーゼルや、バスが走っているのも面白い。しかし、大変便利になったが、あまりにも気忙しいといつも思う。
それに、道内どこへ行っても開拓済み。うっそうたる森林であった所に、今は1本も樹が無い、などはザラのことで、武四郎が「芦や蒲の生えた沼を、アイヌの丸木舟で」と記したその場所に行ってみると、見渡す限りの水田に、青い稲の葉が波と揺れていたりする。そして北海道の地面すべてに、ほとんど人の手が入り、120年前の面影がほとんど残っていないことを知らされる。ただ、どうやらこれは昔でも…と思われる景色は、山々の姿、それから海岸の浜形や岩などのたたずまいであろうか。北海道の屋根大雪山は、その昔もヌタプカムシュッペ、ヲプタテシキ、トンラウシと山名も同じに、その山容は変わりなさそうである。だから旅に出ると、どうしてもその土地の山を眺めている時が多くなる。大雪に続いて夕張、芦別、そして日高の幌尻、戸蔦別などを国鉄の車窓から、飛行機の窓から、息をのんで眺めた。
道東では雌阿寒、雄阿寒、カムイヌプリ、羅臼、斜里などの山々、愉しかった想い出も含めて、今もなつかしい。それから海岸では、網走港の帽子岩、知床半島の遊覧船からみた、海岸の岩や滝の奇景、そして野付岬、ノサップ岬、積丹の神威岬、雷電海岸の刀掛岩、天塩の長い長い砂の浜…。まだまだありそうである。そして、ずいぶん変わってしまっているであろうけれど、それぞれに趣の異なる石狩川、天塩川、十勝川。
この分では生涯、道内小旅行にあけくれしてしまいそうである。