ウェブマガジン カムイミンタラ

1999年05月号/第92号  [ずいそう]    

山師の気
山崎 巌 (やまざき いわお ・ (株)あるた出版)

自分の姓名に「山」が3つも付いていることを強く認識したのは、高校3年のときだった。

卒業アルバムで、将来、何になりたいかという設問があり、私はハタと悩んだ。初めから大学へ行くつもりでいたし、将来、ましてや職種など5分以上真剣に考えたことはなかった。ただ、漠然と「作家」になりたいと思ったことは何度かある。理由は単純で、小・中・高と詩や作文、短歌を出すたびに、校内に掲示されたり、上位入賞を果たしていたからだ。このままゆけば文学部にでも入り、末は芥川賞をと夢想していた。

そんなある日、利尻山へ登ろうという計画があり、仲間8人で名寄市から稚内市まで自転車で走り、利尻富士をめざした。

その旅の途中で、やはり卒業後の進路の話になり、めいめいが思い思いの夢を語った。

さすがに私は「作家になりたい」とは言えず、「新聞記者にでもなるか」などとあいまいに話に加わっていた。すると、親友の1人が「おまえは、名前に全部“山”が入っているから、登山家なんていうのはどうだ」と言った。

不思議なもので、意識したとたんに私の行動に変化が生じ、休みといえば山の中にいた。

ピヤシリ岳をはじめ、大雪山へはさまざまなルートで20回以上登った。読む本も、小説から山岳・登山ものへと変わった。

希望する大学は落ちてしまったが、職場を旭川にみつけ、サラリーマンと山登りという生活を3年ばかり続けたが、どうにも“書く”という行為も捨てがたく、山に関する小品『白い杖』を旭川市民文芸に応募した。

これが一席になり、忘れていたフリをしていた夢がまたよみがえってきた。以来30余年、登山家にも作家にもなれず、ススキノの片隅で『すすきのTOWN情報』という月刊誌を発行し続けている。ペンネームは“酒仙”、いまだ山は抜けていない。

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