私は北大入学で北海道に来てから、もう30年近くがたとうとしている。いまや、道産子にまけないぐらい北海道大好きのナショナリストを自認しているが、幼少から高校までを過ごした神戸にも、とても愛着がある。だから、あの阪神大震災の被災者を応援するための「神戸応援団北海道」を呼びかけて、今もささやかながら応援を続けているのだが、私の活動の中心は映画なので、復興の様子を地域に張り付いて震災後ずっと撮り続けている青池憲司監督のドキュメンタリーを、彼が撮り続けるかぎり、私も上映し続けようと思っている。これまで約1時間の作品が第11部まで出来上がっていて、シアターキノでは第10部まで上映した。
残念ながら、あれから4年以上もたって、関心をもって観に来てくれる人は少ない。だが、この記録は、震災のときの大惨事を撮った何千という報道よりも、私たちにとって最も重要な作品として残り、必ず財産となるだろう。
それは、人類史上でも最も不幸な惨事から心を回復させてきた人びとの記録であり、人のつながりであり、まちづくりの記録であるからだ。ともあれ、現在のジャーナリズムは不幸な出来事ばかりを報道しようとし、日々の小さな幸せは事件ではないといったふうに扱われる。だが、大林宣彦監督が言うように「きょうは不幸な事件がなかったので、気持ちのよかった青空を視聴者のみなさんにお届けしましょう」といったことが、ほんとうは大切なのではないか。もちろん、それは無理なことかもしれないが、そんな気持ちをもつてカメラを回すことが私にはとても大切に思えてならない。
私は、その神戸に短期間だがボランティアで戻ったとき、友人の映画館が無料の上映会をやっていて、満員であったことに感動した。震災のあと、人はまず雨風をしのぐ住を確保し、そして、とりあえずの食を得ようとした。そして、少し落ち着き始めたとき、何を求めたのか。それは心を癒すものだ。そのひとつに、じつは映画があったことに、私は心から感動したのである。映画も捨てたもんじゃない。それは人生のある一瞬かもしれない。でも、映画が人に役立っていることが、私は何よりもうれしかった。映画をやっていてよかったと、私は今も思っている。