ウェブマガジン カムイミンタラ

1999年07月号/第93号  [ずいそう]    

グローバル スタンダード
金本 太中 (かなもと たいちゅう ・ (株)カナモト代表取締役会長)

グローバル スタンダードということばが一般化している。英語の辞書には、いまだに収録されていないので、使われ始めたときは和製英語だったかもしれない。

グローバル スタンダードは、世界を支配する国の強い影響下にあるとみられるので、アメリカン スタンダードと置き換えるべきかなとも思う。ともかく、近年のアメリカの政治、経済の強大さを疑うものはいないだろう。

ところで、1980年代、日本が世界経済の機関車の役割を担っていたころ《JAPAN AS No.1》という書物が刊行され、多くの識者が、来たるべき21世紀は日本の時代だと信じていたものだ。現在、日本でその是非について論議されている終身雇用が米国で見直され、中長期視点にたつ日本式経営を学ぶべきだとの流れがあったのは、紛れもない事実である。

昨今の、速い流れの中にある諸事象が、歴史的現実として認知されるには、相応の時間が必要だろう。それでも、世界を経済的にリードしてきた80年代の日本的なものと、90年代のアメリカ的なものを比較して、今日、どちらが正統性をかちうるのかと問うて、なお、日本的なものへの回帰を主張する人は少ないと思われる。

本来、諸矛盾を否定することで形成されているであろう現在を、進歩や発展の極ととらえるならば、明らかにアメリカン スタンダードを取り入れる度量と知恵が必要だろう。

しかし、現在は必ず未来にとって代わられる宿命にある。だから、いまのアメリカ流も、いずれ否定されるであろう。その時、日本的なものが再び見直されるかもしれない。その時点での日本的なものは、アメリカ流の良さを充分にとりこんだものでなければなるまい。それでも、日本的なものがグローバルなものとして認知される保証はない。少子化が進むことで個人の安穏が保証され、他民族の流入を拒むことで民族は浄化されるだろうが、日本が新世紀のスタンダードとなりうるかは、保証の限りではないだろう。

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