ウェブマガジン カムイミンタラ

1999年07月号/第93号  [ずいそう]    

大学助手時代の体験
森 樊須 (もり はんす ・ 北海道大学名誉教授)

1952年(昭和27)に旧制大学を卒業して直ちに母校の教官(助手)になり、7年前に定年退職した。40年以上も同じ職場に勤めたことになる。その間、助手、助教授、教授と人並みに大学の階段を踏むことになった。よそ目には順風満帆、気楽な稼業に見えるかもしれないが、大学紛争を体験した当人には平坦な道ばかりだったとは思われない。

大学教官の仕事は、言うまでもなく教育と研究である。前述のように、大学院に進学することなく教官に採用されたので、ほんの2、3年前に自分が教わった学生実習を、こんどは指導する立場になってしまった。理科系では講義は教授、助教授が担当し、実習は助手が指導する。私の場合、2学年の合計40~50名の学生実験の材料と装置の準備、実験テクニックの指導を全部1人で行うことになった。担当した教科では、実験材料のカエル、アカトンボ、ハツカネズミ、コナダニなど材料の採集、飼育、実験器具の準備など、戦後の教室予算の極めて乏しい中で調達しなければならない。採集と飼育の経費はしばしば自腹で賄うことにもなった。

教科の中で学生に最も勉強になるのは、ゼミナールであろう。外国論文の紹介を主としたゼミナールは、まだ専門課題(テーマ)の決まっていない学生には研究者としての適性が評価される最初の試練である。また経験が学生とさほど違わない若手の助手にとって、教室のゼミナールは剣士の道場そのものであった。

さらに年1回の学会の全国大会や支部大会での発表は(複数の学会に所属すれば発表の機会は多くなる)、研究者としての評価にかかわる正念場であった。そのうえ、国内外の学術誌への論文投稿、海外留学、国際集会への参加などを体験して、研究者は鍛えられていくのであった。ひと口で言うと、助手時代は助教授、教授になるための修業期間で、大学の講座を背負って立つ力量を持つか、テストされるわけである。

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