ウェブマガジン カムイミンタラ

1999年09月号/第94号  [ずいそう]    

友はよきもの
越智 晴子 (おち はるこ ・ (社)北海道被爆者協会会長)

最近、折りにふれ、身体の動きが敏捷でなくなっていることに気づくようになった。そのような時、悲しいが老いを感じ、よく今日まで生きてきたと、もろもろの思いが去来する。

1945年6月5日の神戸大空襲と、その2カ月後、広島で原爆を体験した私は、2度死に直面し、原爆症で死の宣告を受けたが、あの日から今日までの54年間、外見は元気そうだが、肉体と心は他人にはわからぬ苦しみを抱えて、「戦争・核兵器のない地球を」と訴え続けてきた。

人は被爆者になると一生その重荷をおろすことができないから、私も54年間、原爆を忘れた日は無かったと言ってよい。だが、そのような毎日の中で年に一度集まる女学校の同期会は年を忘れ、被爆者を忘れて過ごせる、ありがたい神様からの贈り物だと感謝している。戦後、北海道に来ていた私が出席できるようになったのは、卒業後39年たってからだが、以後、ほとんど毎回出席できたことも感謝である。

私が通ったS女学院はプロテスタント系のミッションスクールで、おっとりとした人が多かったが、戦中・戦後の苦労を立派に乗り越え、会うたびに人間が丸くなり、枯れた美しさを身につけ、くだらぬ自慢話は一切せず、人の生活は詮索せず、他界した友の冥福を祈って、元気で出席できた幸せを感謝し、女学生の昔にかえり、関西弁が飛び交う。杖が必要になった人、ほとんど失明した人、夫をショートステイにお願いして参加した人、笑って笑って、来年の再会を祈り「また会う日まで」を歌ってお別れする。

8年前札幌に、10年という年月をかけ、募金で市民手作りの、広島・長崎の被爆資料を展示する、北海道ノーモアヒバクシャ会館が完成した。その苦労に拍手を送ってくれた友たちから、たくさんの募金が届き、私は感謝にふるえながら毎晩お礼の手紙を書いた。今も年末に数人の友から募金が届く。今年も10月に、この良き友たちに会える日が来る。待ちどおしいことだ。

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