プロ野球・中日ドラゴンズ球団の社長、佐藤毅に突然いわれたことがある。おたがいにまだ学生だった。
「キミは保守的だなぁ」。新宿で焼酎をあおって帰る道すがらだったし、いわれた言葉に前後の脈絡もなかった。
オマエといっしょに歩いていると、街路であれ地下街でも、きゅうくつそうに左側通行している。都会の雑踏を歩くのに、子どものころに身についた習性を無意識に順守している、と彼は観察していたらしい。
道路の右を歩くか、左を選ぶかで思想や性格を判断されるのは迷惑なこと。が、このごろは、足弱になってしまい、人混みは遠慮する歳になったのは情けない。生まれつき不器用と自認しているし、晩酌の味は、わが生きがいのひとつ。だから運転免許証なんていう現代の必需品を手にしたことがない。
なにかと知人の好意にすがることが多い。親からもらった両足でオロオロ歩いているのを“保守的”といわれても笑っておられるけれど、好意にあまえたつもりで乗った車の乗り方、言動が「時代遅れの反動思想家」だと弾劾されると、あわててしまう。
江戸時代から蝦夷地と縁の深い石巻市から北上川を遡行すると、ほどなく宮城県登米郡(とよまぐん)登米(とよま)町に入る。伊達一門・登米藩二万余石の旧城下。当主は17代の伊達宗弘氏である。
紹介する人があって、赤松の美林に囲まれた登米の城館を訪ねた。みずからハンドルを握って“旧領内”を案内してくださった宗弘氏に口がすべった。「先祖が加賀藩の足軽クラスの私が、伊達の殿様を駕籠かきにしているみたいで恐縮です」。笑っておられた。
それで止めておけばよかったのに、東京で親戚の若い男の車に便乗したときに話した。
「あの野郎!ドライバーを駕籠かきだといいやがった。差別意識むき出しの反動主義者だ」と怒り狂っているという。
ちなみに、宗弘氏からこの話をきいて、母御前は笑いころげられたと、後日うかがった。