ウェブマガジン カムイミンタラ

2000年01月号/第96号  [特集]    

心の豊かさと 「知」を満たしてくれる本を30年間求めつづけた 読書サークル『新樹の会』
根室市図書館の読書会活動

  昨年8月、衆参両院で「子ども読書年に関する決議」が採択され、西暦2000年の今年が「子ども読書年」に制定されました。子どもの読書離れはもとより、若者の活字離れ、内容の吟味もなく数だけが氾濫するといわれる出版事情―など、おとなにとっての読書環境にもさまざまな問題点が指摘されています。そんななかで、自分の心を富ましてくれる一冊の本とのめぐりあいを求めて、読書会活動をしているグループがたくさんあります。北海道最東端のまち根室には根室市図書館(根室市弥生町2丁目 TEL:01532‐3‐5974)をベースに活動する読書サークルが22グループあり、そのなかの『新樹(しんじゅ)の会』(代表・谷内田典子さん=TEL:01532‐4‐8052)は昨年9月に創立30周年を迎えました。そのサークルを中心に、根室市図書館の読書会活動をたずねてみました。

根室は北海道の公共図書館の発祥地

イメージ(読書会活動が活発な根室市図書館)
読書会活動が活発な根室市図書館

根室は1870年(明治3)に開拓使直轄地となり、開拓使が廃止された1882年(明治15)に明治政府によって北海道に三県一局が置かれ、函館、札幌と並んで根室県が設置されました。県下の所轄面積は現在の網走、釧路、根室支庁の全域と十勝管内の足寄郡、カムチャツカ半島手前の占守(シュムシュ)島までの全千島(クリル)列島を加えた31,600平方キロメートルに及びました。しかし、総人口はわずか17,300人余だったといいます。

イメージ(読書会活動が活発な根室市図書館)
読書会活動が活発な根室市図書館

注目されるのは、この根室県庁内議事堂に北海道の公共図書館第1号が設置されたことです。1884年(明治17)に、根室在住の有志4人が発起人になって「根室共同文庫」の設立を発意し、翌1885年1月に発会式がおこなわれました(「根室市文化センター10周年記念誌」)。設立目的は、規則第一条で「広く内外古今の書籍を蒐(しゅう)し閲覧の便に供するにあり」とし、「書籍部数はすでに三百余部」、「書籍は部類を分かち目録を作り書筐(しょきょう)に蔵す」(第四条)、「借覧を乞ふものは借用証を認(したた)め幹事に申し込む」(第五条)と定めています。この規則は全部で2百9条に及び、規模は小さいながらも図書館の体裁が整えられたものでした。まもなく歯舞ほか5村に図書閲覧所が開設されましたが、三県一局は1886年に廃止され、さらに1897年(明治30)に旧根室県庁舎は焼失し、共同文庫のその後は消息不明になってしまいました。

文化センターが開設した半年後に結成した『新樹の会』

イメージ(読書会活動が活発な根室市図書館)
読書会活動が活発な根室市図書館

太平洋戦争末期の1945年7月14・15日の2日間、北海道はアメリカ海軍艦載機によって78市町村が空襲を受け、死者1,925人、負傷者970人ほか多数、被害戸数6,680戸罹災人口33,400人に及びました(菊地慶一著『北海道空襲』=北海道新聞社刊)。そのなかで死者400人を超え、負傷者192人という大きな犠牲を受けたのが根室でした。米軍機105機が来襲して爆弾を投下し、市街地の8割が焼失しました。

イメージ(親子読書会の取り組みが評価された北海道子どもの本のつどい根室大会(1998年))
親子読書会の取り組みが評価された北海道子どもの本のつどい根室大会(1998年)

そんな戦災からようやく復興した1949年(昭和24)に公民館図書室が開設され、市民ぐるみの一戸一冊献本運動によって1,000冊を選別、閲覧活動をスタートさせたのです。その後、けむり文庫、三輪文庫、柳田文庫、ロータリー文庫などの寄贈もあって蔵書は14,000冊にまで増えました。

根室市の開基100年を迎えた1969年6月、宿願の根室市文化センターが建設されました。当時は図書館も郷土博物館もなく、文化施設に恵まれていなかったため、小規模ながら両方の内容をもった文化センターは市民に喜びをもって迎えられました。

イメージ(館内で週2回開かれる「読み聞かせ・おはなし会」)
館内で週2回開かれる「読み聞かせ・おはなし会」

公民館図書10,000冊の移管を受けてのスタートでしたが、「文化センター」という名のために宿泊施設と勘違いして旅行バックを持って入ってくる人や、ヘルスセンターと間違ってバスタオル持参でやって来る人もいたという笑い話のようなエピソードもありました。しかし、職員の心を励ましたのは子どもたちでした。1日150人前後の小学生が来館し、児童センターのようなにぎわいだったといいます。それに比しておとなの利用は少なく、教師や新聞記者など少数の人がときおり訪れる程度。貸し出し冊数も年間2,000冊というレベルでした。

イメージ(館内で週2回開かれる「読み聞かせ・おはなし会」)
館内で週2回開かれる「読み聞かせ・おはなし会」

やがて、図書館職員が「本は友達」、「暮らしの中に図書館を」といったスローガンを掲げて読書の普及に努めたことでしだいに利用者は増え、半年後の1970年には当時の総人口を超える4万5千3百人以上の入館者を迎えるまでになりました。

その少し前の1969年12月、読書サークル『新樹の会』(初代会長・谷藤栄子さん)が結成され、活動を開始しました。

澤地久枝さんを講師に創立30周年記念講演会

イメージ(毎年盛況の献本運動・古本市)
毎年盛況の献本運動・古本市

その『新樹の会』が、昨年9月14日に根室市総合文化会館小ホールで創立30周年記念講演を開催しました。講師に迎えたのは、ノンフィクション作家の澤地久枝さん。演題は「わたしの歩いた道」でした。

現在、澤地さんは沖縄ァに住んで、若い学生とともに琉球大学の聴講生活をしています。その澤地さんが、昨年、請われて同大学で特別講座を持つことになり、こんどは学生たちを教える立場になりました。

イメージ(子どもたちの人気者・移動図書館バス「あすなろIII」)
子どもたちの人気者・移動図書館バス「あすなろIII」

講演では、そうした大学生活のなかで、あれほど大きな戦争被害を受けた沖縄の学生たちのあいだにも戦争の歴史が風化しつつある状況を憂いをもって語りました。さらに「きょう、私は死ぬとしても、私はあすの家に住む人のためにリンゴの木を植えるだろう」という決意でナチスドイツとのレジスタンスの戦いに参加していったフランス人の詩を紹介しました。

ヨーロッパの人たちにとって、リンゴは“知恵の実”です。明日の家に住む人とは、未来に生きる子どもたちのことです。

イメージ(例会のあとも馴染みの喫茶店で話がはずむ『新樹の会』のメンバー)
例会のあとも馴染みの喫茶店で話がはずむ『新樹の会』のメンバー

澤地さんは、凛とした声で語りました。
「私も、あすの家に住む人たちのために知とやさしさの木をたくさん植えたいと思う。そのための媒介として、良い人間関係と多くの書物が大きな役割を果たしてくれるに違いないと思う。『新樹の会』のみなさんと、この会のメンバーを支えてくださる家族のみなさんをはじめ多くの人びと、そして会場に足を運んでくださったみなさんと一緒になって、あすの家に住む人たちのために知とやさしさの木を植えていこうではありませんか。」と。会場の人たちは感銘の拍手をもって、澤地さんの呼びかけにこたえていました。

「30年間、いちども休まず 継続してきたのは見事」と称賛

イメージ(創立25周年記念講演会のとき)
創立25周年記念講演会のとき

澤地さんは、根室を訪れるのは今回が初めて。その澤地さんを3,000キロも離れた最南端の県から最東端のまち根室に足を運ばせたのは、30年という長い期間読書会活動をつづけている『新樹の会』の存在を知ったからです。その仲立ちをしたのが、北海道在住の児童文学作家・加藤多一さんでした。加藤さんは、戦時中に獄中で病気に感染して無念の死をとげた反戦川柳作家の鶴彬(あきら)全集を澤地さんが自費で復刻したことに感銘して、文通をしていたとのこと。『新樹の会』の人たちは、記念講演依頼の手紙を加藤さんに託したのです。

澤地さんは講演のはじめに、依頼を受けたときの感想を話しました。

「ぜひ根室にうかがおうと思ったのは、いまはさまざまな意味でこんなに荒れ果てて人びとがお金に支配されている時代。出版文化もひじょうに危ない状況にあると思います。多くの本が内容を吟味されることなくたくさん作られ、ほとんどが読者の手に渡ることなく段ボールの材料として処分されるという、本にとって、本を愛する人にとってはとても不幸な、悲しい時代に私たちは生きています。このことが、いまの日本社会がいかなる時代にあるかを象徴し、集約していると思います。そういう時代の中で、本が好きでたまらない人たちが集まって、30年間、読書会をつづけてきたことは特筆すべき、すばらしいことです」と称賛しました。澤地さんは、さらに言葉をついで「しかも、流会になったことが1回もないという。例会では、読んだ本の感想をみんなで語り合う。この本を自分はこう読んで、こう感じたと自分の意見を言う。そして、いちども喧嘩をしたことがないという。それは見事なことです。このことをもっと広げていかなければなりません」と励ましていました。

イメージ(国境の岬・納沙布岬の「四島のかけ橋」に澤地さんを案内する)
国境の岬・納沙布岬の「四島のかけ橋」に澤地さんを案内する

昨年の春、『新樹の会』では、会員の希望もあって、大胆にも澤地さんを記念講演会の講師にお願いしてみようという夢を抱いてみんなで諮ってみたら、パッと意見が一致しました。そこで、澤地さんの全著作48冊のうちの27冊を読み終えているという伊藤久美子さんが実行委員長になりました。

「早速、手紙を書きました。『新樹の会』の成り立ちから30年間の読書会活動の経過を一生懸命書き、沖縄もよいところでしょうが、北の東端の国境の地もぜひ見てくださいとお願いしたのです」と伊藤さん。

「するとまもなく、たまたま9月中に1週間だけ東京に帰る機会があるから、それでよければお引き受けする、というご返事が加藤さんを通じて寄せられたのです」

イメージ(創立30周年記念講演の講師・澤地久枝さんを囲んで)
創立30周年記念講演の講師・澤地久枝さんを囲んで

「いま、人びとの暮らしの中に知的生活が欠けている部分がありますよね。そんななかで、地図を見たら北方領土と接した東の端で、女の人だけで30年間も読書会活動をしていることを、澤地さんは評価してくださったのです」と、伊藤さんと創立会員である谷藤栄子さんは、そのときの感激をそのままに話します。

「澤地さんの記念講演が実現したことが市民に伝わると、それはたいへんな反響でした。」と会長の谷内田典子さん。

「このまちでは、講演会などのチケットはおつきあいの義理で買ってくださる人が多いのですが、私たちは、それはやめましょうと申し合わせました。ほんとうに澤地さんのお話を聴きたいと思っている人に買っていただこう、と。チケットを売る苦労はまったくありませんでした」と伊藤さん。小ホールは350席でしたが、入場者は400人を数えました。

読んだ本は240冊以上、いつも感動を語り合う

イメージ((左)から谷内田典子さん、伊藤久美子さん、谷藤栄子さん)
(左)から谷内田典子さん、伊藤久美子さん、谷藤栄子さん

「私たちのサークルは会則も会費も決めず、会長と記録係は1年交代で、ということだけを申し合わせてスタートしました。例会は月に1回開き、どんな本を読んでいくか、意見を出し合いました。また、折に触れて道内の作家や郷土史を研究している人たちからお話も聴きましょうということでした。それで、地元でオホーツク文化の研究をしている北構保男さんのアドバイスを受けたら、プラトンの『ソクラテスの弁明』という哲学書を読んでみたらと推薦されたのです。みんなから反対意見もなかったので、怖いもの知らずで読み始めました。難解な言葉は少ないのですが、やはり小説を読むようなわけにはいきません。私は書棚でホコリを被っていた百科事典の助けを借りながら3回ほど読んで例会に臨みました。ほかのメンバーも同じような状態でしたから、気軽にやりましょうよと意見交換に入りました。それぞれにソクラテスの言う“無知の知”をわが身に感じながらも、意外に話は弾みました。終わり近くになって、悪妻の標本のようにいわれているクサンチッペ夫人の話に及び、これくらいのことで悪妻と決めつけるのは可哀想よね、と彼女に同情が集まりました。そして、哲人ソクラテスを夫としての評価でこき下ろし、もしこの場にソクラテスがいたらどんな弁明をするかしら、という落ちがつくという好調なスタートでした」と谷藤さんは笑います。

『新樹の会』が30年間に読んだ本は現代文学を中心に240冊を超えました。そのほか講演会、事例報告会、研修旅行会など活動を広げてきました。1975年に犬養道子著『セーヌ左岸で』を読み、著者が世界の飢えた人びとのためにすすめている「一杯のスプーン運動」にも協力しています。

最近、読み合って印象に残っている本をたずねると、辺見庸著『もの食う人びと』(97年)、松井やより著『女たちがつくるアジア』(97年)、プーラン・デヴィ著『女盗賊プーラン』(97年)、ユン・チァン著『ワイルド・スワン』(98年)などをあげました。99年は浅田次郎著『鉄道員』のあと、澤地久枝さんの本11冊を一気に読んだということです。

「会員のみなさんは、ここはぜひ、みなさんに聞いて欲しいという自分の読後感の興奮を持続して例会に臨むんです。自分の思いを、むきになって話すのは私たちの世代まででしょうか。若い人たちはあまり自分の意見を言わないですね」と谷内田さん。伊藤さんも「いまは、まじめな話がしにくい雰囲気があって、どこかで茶化されてしまうというか、熱を入れて話すほうが恥ずかしくなるような傾向がありますね。それだけに、私たちには、きちんとした話を聞きたい。自分もきちんと話をしたいという思いがあります」と伊藤さん。谷藤さんも「戦争時代を体験している世代は、いまの時代に危機感のようなものをもっているのです。私も兄が戦争で死んでいますし、夫のほうは家族が3人も空襲で焼け死んでいます。それなのに国旗・国歌法が成立し、平和憲法は形骸化しています。騙されてはいけないという思いがあるのです。本を読んだり、語り合ったりして、ほんとうのことを学びあいたいのです」と表情を引き締めます。「主婦の立場からは、環境問題なども真剣に考えます。月例会でも、環境ホルモンのことやオゾンホールの問題などこの先どうなるのだろう、というような話もけっこう出るのですよ」と谷内田さんも主婦たちの問題意識について語ります。

ほかのメンバーのみなさんも『新樹の会』の活動について「一人で本を読んでいた時よりも系統的な読み方ができるようになった」、「自分一人だったらけっして読まないような本を読むようになった」、「年齢の差を超えて自由に自分の考えを発言でき、一人ひとりを認め合っている会であることが感じられる」、「図書館の和室研修室を借りて開く毎月の例会に出席すると、いつも感動を得たいという思いが達成されます」、「本を読み、語り合っているとき、個としての自分自身に戻れるのがとても魅力」などと口ぐちに語ります。そして、谷内田さんは「根室市図書館には、ベテランの谷村和子さん、松永伊知子さん、浅野正弘さんと若い天間館由香さんら4人の司書がいて、図書指導や親子読書会のお世話、いろんな研修活動など充実した普及事業を活発にすすめてくれているのですよ」と話します。

3万4,000の小さな都市に生まれた22の読書サークル

イメージ(寺本孝治さん)
寺本孝治さん

「30年前、『新樹の会』の発足とその活動に刺激されて、半年後から『集いの会』、『涯(はて)』、『こどもの本を読む会』などの読書サークルが次々に発足しました。現在、根室図書館の読書会は、幼児読み聞かせ会2、小学生の親子読書会6、中学生の親子読書会1、中高生の会1、成人読書会10、創作の会1、音訳の会1の計22サークルと『ねむろ図書館友の会』があります。北海道立図書館が1999年1月現在で調べた道内市町村別の読書サークル数によると最も多いのは人口36万5,000人の都市・旭川で35。2番目に多いのは人口3万4,600人のまち根室。180万都市・札幌は19です。人口比でみると根室のサークルは活発だといえるかもしれません」と司書の谷村さん。

「1998年度末現在の蔵書数は13万4,600冊で、市民一人あたり約4冊に相当します。貸し出し総数は約16万3,000冊で、市民一人あたりの貸し出し冊数は4.87冊。全道平均3.27冊よりは上回っていますが、置戸町や訓子府町の約15冊に比べると大きく下回っています。根室も1965年ごろをピークに過疎化現象が顕著になり、現在も人口は減りつづけていますが貸し出し数は逆に増えています。しかし、個人の利用登録数は市民の17.7%で、けっして多いとは言えません。私たちは当面の目標を20%に置き、もっともっと多くの人が図書館に足を運んでくれるように努力していこうとしています」と、図書館長の寺本孝治さんは説明します。

「高齢者の利用が増えつつありますが、図書館を利用したことのない人にとっては、まだまだ敷居の高い施設のようですね。そういう人たちが気軽に来館できるような雰囲気づくりが必要ですし、高齢の人に向けては大活字本をできるだけ多くそろえるように努めています。また、幼児期から本に親しむ習慣を身につけてもらうために、毎週水曜日と土曜日に読み聞かせを中心にした『おはなし会』を開いています。水曜日は小さい子のためのおはなし会で、職員が受け持っています。土曜日はボランティアの人が担当してくれています」。

市内の読書団体で『古本市の会』が組織され、毎年、献本運動と古本市が開かれています。今年第27回を数え、市民から1万5,000冊が提供されました。その益金で児童図書を購入、図書館に寄付されました。

また、1975年から走りつづけている移動図書館バス・あすなろ号の3代目が9月から運行しています。車体には、絵本作家・梅田俊作さんの絵と司書の松永さんの文で出版された『みさきめぐりのとしょかんバス』の挿し絵が描かれ、子どもたちの人気を集めています。

コミュニケーションの自由を守り370の読書会が道内で活動

澤地さんは「本を読むということは、自分の心に着物を1枚まとうようなもの」と『新樹の会』のみなさんに語っていたと言います。青森県の読書アドバイザーと青森県立図書館館長に就任した鈴木健二さんは「本は自分の心のために読み、良い人になるために読むのです」と講演の中などで常々語っています。それに対応するように『新樹の会』の伊藤さんは「読書活動を通じていろんな人のものの見方、考え方を知ることで、人をやさしく見つめることができるようになった」と話しています。アメリカ図書館協会は1948年に『図書館憲章』を採択し、アメリカ出版社協議会も『読書の自由宣言』を発表しています。日本も1954年に全国図書館大会で『図書館の自由に関する宣言』を決議しました。市民のための近代図書館は「コミュニケーションの自由」を前提にして運営されています。『新樹の会』など根室市図書館のそれぞれの読書会はもとより、道内に370あるどの読書サークルも、それぞれに自由な心を守り合いながら地道な、そして頼もしい活動がつづけられています。


根室市図書館の読書会
※1999年11月現在・カッコ内は代表者
●幼児読み聞かせ会
 えくぼクラブ  (大島奈穂子)  15組30人
 つぼみの会  (平川真美)  16組32人
●親子読書会
 一年生親子読書会  (図書館)  6組12人
 親子読書会ぽんぽこ  (鈴木かをる)  6組12人
 親子読書会プーさん  (福地優子)  6組12人
 親子読書会トトロ  (太田幸子)  11組22人
 親子読書会ガリバー  (小川和子)  7組14人
 親子読書会ムーミン  (高橋ひろみ)  2組4人
●中学生会
 親子読書会アラジン  (伊藤むつみ)  9組18人
●中高生会
 中高生ブッククラブB・LOVERS  (大橋加世子)  6人
●成人読書会
 新樹の会  (谷内田典子)  17人
 子どもの本を読む会  (高僧良子)  20人
 読書会たんぽぽ  (加藤しづえ)  5人
 読書会赤とんぼ  (富山末子)  4人
 読書会きかんしゃ  (笹谷房子)  5人
 読書会ひまわり  (杉本滋子)  7人
 読書会あさがお  (菅原幸子)  6人
 読書会アンパンマン  (室谷幸子)  5人
 親子読書会OB会  (高僧良子)  9人
 読書会一休さん  (田村恭子)  8人
●創作の会
 わたすげの会  (中沢みかり)  15人
●音訳の会
 根室音訳奉仕友の会花あかり  (富山末子)  24人

世紀越えを変化の節目にして、歴史と文化を活かすまちづくり

根室市観光協会
  会長 魚谷(うおや) 直孝さん

世界3大漁場の一つといわれる豊かな海が目の前に広がる根室は、サケ・マスはもとより、サンマ、カニ、昆布、スケソウダラなど豊富な魚種の水揚げを誇る漁場の町です。昔から根室の人たちのあいだには、魚を獲れば一旗揚げられるという「ねむろドリーム」があって、ともすれば深い文化の追求をしなくても暮らしを楽しむことができるという風潮が長い歴史の中で生まれていたかもしれませんBしかし、豊かな生き方とはそれだけではいけない、経済優先の風潮に押し潰されてはだめ、という思いが、とくに女性たちのあいだに強く意識されるようになり、そこから読書会活動が始まったようです。しかも、そのサークルは年々増え続け、数の多さも道内有数というのは誇りとすることができます。また、読書好きなお母さんのもとで本に親しみながら育つ子どもたちが大勢いる根室のまちは、これまでとはまた一つ違った将来が期待できそうですね。

根室は縄文早期からオホーツク文化期の遺跡も多く、アイヌと和人との交易も江戸時代初期から始まっています。早くから北方交易や北洋漁場の一大基地として栄えた歴史のあるまちです。ところが、歴史があるだけに時代に合わせて変えていけない部分が多く、歴史あるまちのよさをじゅうぶん活かしきれていない面もあるのです。

そこで私たちは、西暦2000年という節目の年を迎えるのを機に「根室を少し変えていこう」「新世紀の魅力ある街・根室を創造しよう」と『ねむろ進世紀プロジェクト』を展開中です。『朝日にいちばん近い街=世紀越えの街」をキャッチフレーズに、千世紀と新世紀が重なる西暦2000年1月1日と西暦2001年1月1日にミレニアムイベント『日出づる国フェスティバル』を開催します。メイン会場は納沙布岬「望郷の岬公園」特設会場。除夜の刻からカウントダウンを開始し、元旦の午前零時を期して2000発の花火を打ち上げます。「ゴジラ新世紀」上映会など楽しい催しをたくさん組んでいますので、どうぞ私たちといっしょに世紀越えを祝福してください。

◎この特集を読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net