昨年11月11日、函館で開催された「青函ツインシティ10周年大会」に、短い時間の記念講演に招かれ、沖縄から函館に入りました。なにも、そんなに遠くからと言われましたが、函館は私が大好きな街の1つだからです。
先祖代々の江戸っ子の家系に生まれた私ですが、戦争のさなかに、どうせいつかは戦場で死ぬ運命なのだから、それまでは静かな所で本を読んで、生きていた証を立てておきたいと、旧制弘前高校に入学し、生まれ故郷の隅田川のほとりを後にして、ひとり津軽へと旅立ったのでした。そして、すぐに北海道に渡り、函館に上陸しました。終戦の年の春でした。
そして、坂を上り、教会のある道を歩いて、私は心の奥底に限りない充実感を持ちました。そこには、昭和初期に生まれた私が憧れ続けていた明治・大正のロマンが夢のように漂っていたのでした。私は戦争を忘れました。生きている幸せを、青春の魂に刻み込みました。
いま、青森で県立図書館と近代文学館を拠点に、県下67市町村を1日に1つずつ丹念に歩いて、読書運動の普及をしながら、文化を探り、人材を求めています。
青森には三内丸山をはじめ、縄文の生活文化が5千年の時空を超えて、人がいかに生きてきたかの心を私たちに伝えています。
ところが、講演の直前、傍(そば)にあった新聞にちらっと眼がいきました。手に取ってはじめて知ったのですが、この行事は昨日から開かれ、第1日は、いかにして青森と函館を結ぶかの会議が開かれたようなのですが、取材した記者の結論は、青森市はカートレインに、函館市は新幹線にこだわり、両市のアクセスはまだまだ遥かに遠いと書いてありました。
私は、現代のマスコミ人のものを見る眼の狭さに失望しました。函館の文化をつくった明治人は、近いアクセスで来たのでしょうか。そして縄文人は…。遠く海を越え、陸を渡って来たのです。北海道の「海道」は、東京からの「街道の一部」に海の道があることです。明治の気概です。