ウェブマガジン カムイミンタラ

2000年01月号/第96号  [ずいそう]    

男の居場所
高橋 三枝子 (たかはし みえこ ・ 北海道女性史研究会主宰)

少女期まで封建色の濃い富山の在で私は育った。父親の座る横座には大きな座布団が敷かれ、誰も座ることができなかった。食事の時も父親だけは別のお膳で、もちろんお菜も私たちのそれとは違っていた。

そんな中で育った私は、どこか夫に対しても父親に対する母親のそれをそっくり受け継いでいる。もちろん、父と向き合って話をしたことなど一度もない。ほとんど母親を通して話された。

戦後の民主主義は、私たちの家庭にも否応なく侵入してきた。男女同権どころか、家庭の中では女性上位がしっかりと根づいているようだ。知人に警察署長を歴任した人がいる。その人が退職したその翌日から、奥さんの態度が一変した。

まず、毎朝のゴミ出しから始まって、町内の回覧板の受け渡し、さては「自転車でひと走り、白ゴマ1袋を買って来て」と気軽に言いつけられる。一夜にして夫と妻の立場が逆転したという。

言われてみれば、最近のスーパーなどの買い物客にめっきり男たちの姿が多くなった。夫婦2人きりで暮らすとなれば、いつまでも男子厨房…ではいられないのだろう。男の料理教室が大繁盛だという。

父はどんなに夜が遅くとも朝の早い人で、大きな鉄瓶(てつびん)で湯を沸かし、濃いお茶をひとりでのんでいた。とにかく来客の多い家だったが、そのもてなしの料理も、とくに魚については絶対に母にはさせなかった。

女の手は温かく、魚の鮮度が下がるという理由からだときかされていた。たしかに、それもひとつの理由かもしれないが、病弱な妻を庇(かば)ってのことだったのではと、この年齢になってはじめて父の気持ちにおもい至るのである。

さて我が家となると、母親の晩年の子どもとして生まれ、真綿でくるんで手で温めるようにして育てられた夫は、厨房どころか茶碗(ちゃわん)ひとつ洗わない。それでも夫の居場所はしっかりとってある。

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