ウェブマガジン カムイミンタラ

2000年05月号/第98号  [ずいそう]    

韓国の古さを訪ねて
宇田川 洋 (うたがわ ひろし ・ 東京大学大学院教授)

北海道を中心として北東アジアの考古学を学ぶ小生にとって、初めての韓国旅行を今年1月に経験してきた。釜山(プサン)~慶州(キョンジュ)~大邱(テグ)~扶余(プヨ)~ソウルとまわってきたのである。釜山の金海博物館、慶州博物館、扶余博物館、ソウルの韓国民俗村・中央博物館などの施設はいずれも国立で、展示に力を入れている感じで、一級品の遺物が見事であった。遺跡としては、伽耶(カヤ)国を建設した首露王陵、新羅(シラ)の真興王陵、古墳公園の金鈴塚(グムリョンチョン)・天馬塚(チョンマチョン)古墳、陵山里(ヌンサンリ)古墳群、扶蘇山城(プソサンソン)などを見学し、さらにその合間に、通度寺(トンドサ)、世界遺産の石屈庵(ソククラム)、仏国寺(プルグクサ)、海印寺(ヘインサ)、直指寺(チクチサ)、景福宮(キョンボツグン)なども見てまわり、1500年前前後の韓国の古さを実感してきたのである。

韓国は今、大都会のマンションの建設ラッシュである。その都会をはずれると、目につくのが現代の墓である。ご承知のように、韓国の墓は棺桶に入れた伸展葬の土葬で、土饅頭が丘の畑のいたるところにあるのである。ただし土葬といっても、親より先に亡くなった場合や、重い病気で死んだ場合は火葬にするともいわれる。大都会にこの土饅頭の墓がないのは、みな自分たちの田舎に墓を造るからであるという。これを繰り返しているので、いずれ墓だらけの状態になるのは目に見えている現実がある。単なる土饅頭から基壇に石積みやコンクリートが見られたり、墓石が現代風になっているものもあるが、それにしても古代の古墳と現代の古墳に似た土饅頭の墓が同居する不思議な光景に出くわし、異文化に接した感があり、一種のカルチャーショックを受けたものである。

そのようななかで、高速道路とマンションの建設ラッシュの都会から離れ、韓国中央部西側の扶余という町は、小生にとって、なぜかほっとした田舎であった。高いビルが無いということだけでなく、日本に伝えられた百済(くだら)仏教文化の発進地ということが精神的に落ち着かせるのであろうか。ソウルでは日本人が多く、キムチやエステを観光しているらしい。しかし、扶余のような観光ルートからはずれたところを訪ねて韓国の古さを実感するのも、たまにはお勧めしたい。

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