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2000年07月号/第99号  [ずいそう]    

中国の養老院をたずねて
細田 恵子 (ほそだ けいこ ・ 北海道文化団体協議会副会長)

「水を飲むときは、井戸を掘った人のことを忘れるな」という中国のことわざがある。私の大切なことばである。

戦後、中国から帰国できなかった外国人だけを収容する外僑養老院を訪ねた。ハルビン郊外の静かな林の中にあり、ロシア人、アメリカ人、日本人などが居住し、幼稚園も併設されていた。ここは婦女連合会事業としてのボランティア施設で、地域との交流、勤めを終えて駆けつける方のお働き、子どもたちの来訪と、手厚い介護と心の慰めがなされていた。まさに、井戸を掘った人のことを忘れるなという中国の人々の素晴らしく大きな愛を強く感じたのであった。

「1日も早く、お元気になってくださいね」、ベッドに伏せる老婦人を見舞うと、「ありがとう」と低い弱々しい日本語が返ってきた。

「日本の方ですか…」突然の一言に、私は涙で前が見えなくなっていた。青白い細い手をそっと両手で包んで、「また来ますからね」と、やっと言った。平成元年。北海道婦人国際交流派遣団に参加して“中国のくらしと文化をたずね”訪中した折のことである。

当日は、この林の中での職員の結婚式がおこなわれ、小鳥の囀(さえず)り、風のささやき、緑の賛歌の中で屋外に集合すると、正面玄関前には赤い布で覆われた机と椅子に2人の父親、仲人、上司が座り、向かい合って花婿、花嫁が並んで立っていた。集まった老人、子ども、地域の人たち全員に机の上の赤い紙に包まれたキャンディが配られ、人びとはそれを頬ばりながら司会の進行を見守り、大衆の面前での簡素な式であった。

それから数年後、ハルビンのその養老院を訪ねたいと申し出たが、「全員、高齢で亡くなられ、院は閉鎖しました」とのこと。私は、あの老婦人との約束が果たされず、あの両手で包んだあたたかさを心のどこかに一生消すことはできないだろう。

これからの高齢社会に、世代を超え、生きる喜びを交流、共存していけるような施設がたくさんできるように考えていかねばならないのでは…と、いつも想い出されるこの頃である。

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