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特集:ウェブマガジン第6号
  『道警不正問題を徹底解明し、信頼回復を求める道民の会 草の根の声を知事と道議会に』 資料
 

※この資料は「仙波敏郎さんを支える会通信」のサイトに掲載された連載ドキュメントの内容を、カムイミンタラ編集室で転載させていただいくものです

 

連載ドキュメント 仙波敏郎 〜不正を告発した現職警官

文責  仙波敏郎さんを支える会 ・ 東 玲治
文中敬称略

2006年10月4日 (水)
連載第29回 証言 2


(写真は、市民オンブズマン福岡大会会場で顔を合わせた浅野《左》と仙波《右端》。中央は原田。知事として宮城県警に説明責任を求めた浅野は「正義の警察官」と仙波に声をかけた)

 

 平成18年9月5日。仙波が県人事委員会への不服申し立てと並行して起こした損害賠償請求事件の証人尋問がこの日から始まり、仙波側が証人として申請した、元・北海道警釧路方面本部長で、明るい警察を実現する全国ネット代表の原田宏二(68)、原田に心酔する元・北海道警弟子屈署次長の斎藤邦雄(59)の2人が最初の証人として証言台に立った。強い日差しが松山地裁の構内に降り注ぎ、背後に迫った城山の樹林をセミ時雨が覆っていた、そんな暑い日であった。

 裁判所も県警側も、この2人の尋問には難色を示してきた。北海道の問題は関係ないというのが反対の理由であったが、仙波弁護団は、警察の裏ガネ問題は全警察に共通するものだとして強く証人採用を求めた経緯があった。不服申し立て事件とこの訴訟は、告発後の仙波に対し、拳銃を没収したうえ配転を命じたことの不当性を争うという点で同じものである。人事委はすでに「配転不当」の裁決を下し、仙波は配転前の鉄道警察隊に復帰している。配転取り消しは当然のことで、歓迎すべきものであったが、裁決は配転を上司である地域課長の権限の乱用に転嫁、矮小化し、上層部の関与を認めないという誤った認識に立っていた。

 仙波弁護団は、裏ガネ作りは全警察組織に共通のもの、もし、その実態が白日の下にさらされれば、警察への信頼が失われかねないほど深刻な問題だと見ていた。原田や斎藤の告発を「過去のもの」として乗り切ろうとした矢先に、仙波の告発が起きた。よもや、現職警察官の口からその事実が語られるなどということは、警察にとってまさに夢想もしなかった事態であった。一課長の判断で対処できることではなかった、もっと上層部の判断を必要としたはずであった。

 問題が深刻であればあるほど、上層部の判断が必要とされるのは、どんな場合でも同じである。弁護団は、この一連の証人尋問で、裏ガネ問題の深刻さを立証し、仙波の配転に警察上層部が関与していたことを明らかにしようとしていた。
  弁護団は、配転への関与を立証するため、前・県警本部長の粟野友介を証人申請し、県警はそれに対抗して、仙波の上司、同僚らの証人尋問を求めた。この日は、裁判のヤマ場とも言うべき一連の証人尋問の第1日目であった。

 最初に証言台に立った原田は、気負うこともなく、淡々と証言した。
  原田は、道警に採用となった後、ノンキャリアでありながら全国異動の対象に選ばれて警察庁に出向、山梨、熊本の両県警の捜査2課長を務めて、道警に復帰後、最高ポストである釧路方面本部長まで勤め上げた。その後、平成16年2月10日に裏ガネ問題の存在を、実名を名乗って告発している。
 また、「警察内部告発者」という著書を著し、その中で、裏ガネの実態と、それがいかにして警察官の心を蝕んでゆくのかを明らかにし、第2冊目の著書「警察VS警察官」では、巨大警察組織に抵抗する3人の警察官、OBの生き様を取り上げ、その中のひとりとして、仙波を登場させ、告発に至った心情を克明に綴っている。

 その原田はこう証言した。
 かつての優秀な部下が、犯罪に手を染めて転落してしまった事件の背景に裏ガネの問題が潜んでいることを知り、そのことに心を痛めた末に、この悪弊を改めなければならないと感じ告発にいたった。
  自治体警察ということになっているが、実態は警察庁の支配下に置かれていて、国家警察と化している。
  裏ガネは全国どこにでもあり、警察庁でも山梨、熊本でも、私はヤミ手当てを受け取っていた。
  裏ガネ作りの手法は全国同じで、会計書類は架空の事件、架空の協力者、架空の出張などによって、でっち上げられている。所属長を何度も経験しているが、本来なら、所属長は旅費や捜査費の執行を決済する立場にあったが、そういうことは一度もなかった。事務的にはそれ(でっち上げ)で済まされたが、会計検査院の検査の時には、こと細かく尋ねられるので説明に苦労させられた。検査院の検査の前に警察庁が事前のチェックを行なうのが慣例だが、これはいわば、「裏金隠し」。警察庁は架空書類によって裏ガネが作られたことを知っていたから、説明が破綻し、不正が露見しないように事前の指導をしたと思う。
  裏金になじんでしまうと罪の意識が薄れる。皆が、慣らされてきた。そうでない仙波のような人物にはレッテルが貼られて、敬遠される。
  上層部は裏ガネの存在を必ず、否定する。警察官全員がそれをウソだと知っている。組織のその醜さを見たとき、現場の警察官は「よって立つ基盤」を失ってしまう、その影響は余りにも大きい。
  「私は裏金にどっぷりと浸かっていた」
  原田は、悪びれず自分の罪を認めた。

 また仙波問題については、こう証言した。
  ニセ領収書を書かなかった仙波は、裏ガネ作りから最も遠い部署に置かれ続けた、昇進もさせられなかったと思う。
  裏ガネ問題を告発したのは、OBか、現職でも匿名だった。それが仙波のように実名で告発するというのであれば、黙ってはおけないと警察が考えるのは当然。説得と妨害のどこにラインを引くかは微妙だが、告発をやめれば、人事で優遇するとか承認させるという話が出たのが事実なら説得の域は超えている。
  それを振り切って仙波は告発したが、現場の警察官にとっては良い影響を与えたと思う。

 そして原田はこう続けた。
  「体験からすると、この告発問題は基本的には警察庁への《速報事項》であって、(警察庁と協議し、指示を仰ぐべき事柄で)愛媛県警には当事者能力はなかったと思う」と述べ「配転」は一課長の権限によるものではなく、警察庁の指示のもとに県警本部長が行なったとの認識を示し、「目的」については「仙波さんを人目に立たない部署に置いて世論から隔離することと、第2第3の仙波の出現阻止するため見せしめだった」「異動時期も異常だった」と明快に答え、拳銃没収については「警察官失格のイメージを作りたかったのだろう」と述べた。

 続いて斎藤が証言台に立った。
  斎藤は、弟子屈署次長として裏ガネ作りにたずさわる内、ふと疑問を感じ53歳の若さで退職した。これから署長になり、裏ガネを作る立場から使う立場になるという矢先に職を捨て、辛酸を舐めて生きることを選んだ。
  後に群馬で会った斉藤に「なぜ、これからというときに、警察を辞めたのか」と尋ねたことがある。斎藤は「毎朝、若い警察官に警察官としてかくあれと訓示しながら、裏ガネ作りを続けることに耐えられなくなった」と、話している。
  原田が告発に踏み切ったとき、斎藤は原田を孤立させるわけにはいかないと後に続くことを決意し、「会社に迷惑がかかる」と有利な仕事を潔く辞め、自分も告発の道を選んだ。斎藤はそういう人物であった。几帳面な斎藤は手元に残っていた豊富な裏ガネ作りの資料を携えて出廷した。

 原田は、告発後の平成16年3月、道議会・総務委員会に参考人として招かれ、5月には仙台市民オンブズマンが起こした捜査報償費返還訴訟にも証人として出廷し、生々しい証言を行なっている。道警は後に9億円余りを返還し、仙台訴訟では返還こそ認められなかったものの、「(捜査報償費の)支払いの相当部分に実体がないと推認する余地がある」という画期的な判断を示すが、原田はそれらにおいて重要な役割を果たした。原田の一連の行動はマスコミに大きく取り上げられ、世論を動かした。その影響力の大きさに、警察ベッタリの国会も地方議会も驚き、以後は関係者の聞き取りをして真実が語られることを恐れるようになったといわれている。

 斎藤は、どこからも、誰からも語ることを求められず、発言の機会を奪われ続けてきた。仙波もまた、県議会では「係争中だから」と聞き取りを忌避され、衆議院内閣委員会が愛媛の現地調査に赴いた時も、事情を聞かれることがなかった。議会多数派の自公を中心とする与党が、理不尽にも、彼らに「証言」をさせなかったのだ。
  斎藤は、そういう不合理、理不尽に体をぶつけるようにして不正の実態を話し始めた。斎藤が口を開くのは、告発記者会見のとき以来で、全てを洗いざらい話すのはこれが初めてかもしれなかった。満員の傍聴席は静まり返った。斎藤が語る裏ガネ作りの驚くべき実態に息をのんだのだ。

 斎藤はよどみなく語り始めた。
  昭和48年に巡査部長に昇任して北見署などで勤務したあと、道警本部防犯課の庶務に移り、ここで裏ガネ作りを担当させられ、ニセの書類作りの知識を身につけた。
  裏ガネ作りの基になるのは“動態表”(愛媛では星取表と呼ばれる)で、毎月、当直や出張、会議、学校入校など、動かし難い“正規の行動予定”をいれたいわば勤務表で、それをベースに女子職員によってカラ出張が組み込まれ、私はその動態表を基にさらに捜査報償費を支払ったように書類を作った。矛盾が起きないよう留意しながら。
  ところが、連絡ミスで、誰かが年次休暇を取ったことが後でわかったというようなことが起きると、休みの日に捜査報償費を執行したというような矛盾が起きる。そうなると、一度作ったウソの捜査報償費支出伺、支払い清算書、などなど、全部の書類を作り変える必要が出てくる、やむなく、作り変える、どうしても直せないときは、休暇をとらなかったことにしたこともよくあった。会計検査院や北海道の監査をうまく潜り抜けるためにニセの書類がキチンと動くように組み立てねばならなかった。防犯課では、他の需要費や消耗品費などからも裏ガネが作られていた。
  私が担当した3年間に、実際に捜査協力費を支払ったことはない。他の捜査報償費を取り扱う部署でも、正規の支払いはなかったと思う。

 斎藤はそう述べて、仮に正規の、つまり本当の捜査報償費を支払う必要が出てきたとしたらどうなるのか、と問われたのに対し、こう答えている。
  「非常に邪魔になる。全部架空の情報提供謝礼(捜査報償費)の支払いを組み立てている中に正規の支払いが混じりこむと、裏ガネ作りをしている私たちは大変な混乱をきたしたと思う。監査時にミスを露呈したかもしれない」と。
  仙波は、かねてから、「捜査協力者は、一人もいない」と説いてきた。当初は誰もが「まさか」と思ったが、斎藤は仙波の語ってきたことが真実であることを証言で裏付けた。

 斎藤はさらに続けた。
  所属長の印鑑はいつも3本用意し、1本は通常の決済用として使い、後の2本は裏ガネ作りを担当する庶務係が会計監査用のニセ書類に自由に使った。監査時に説明を求められてもなにも知らないから所属長は苦労したはずだ(原田も、そう証言している)。印肉も5種類くらいを使い分けた。同じではまずいからで、混ぜ合わせて使うこともよくあった。
  いわゆるニセ領収書は捜査報償費のニセ書類に不可欠のもので、下書きをして警察官や事務職員、用務員などにも書かせ、それでも足りないときは他の部署の人に書かせ、逆に他からニセ領収書を依頼されることもあり、各所属で同じことが行なわれていることを承知していた。支払い清算書を作成する警察官にはニセ領収書は欠かせない。支払った側と受け取った側が同じ筆跡だとまずいからだ。

 ニセ領収書に必要な印鑑は、何百本も用意されていて、それを使うが、注意しなければならないのは同じ印鑑を頻繁に使わないということで、1度使った印鑑は封筒に入れ、使用日を記入してほとぼりが冷めるまで使わなかった。

 私たちは、会計検査院や道の監査を巧妙に潜り抜けるために“設定書”というものを利用していた。ニセの事件をでっち上げ、それに管理番号を振り、いつ、誰がいくらの報償費を執行したか、もちろんウソなのだが、そういうことを記入しておくものだ。説明がスムースに行なえ、担当者が異動しても、これさえあれば、監査の説明ミスを防ぐことが出来た。(自身が作成した設定書を示しながら)警備関係で、固定協力者に毎月、例えば3万円を支払ったように記載されているが、設定書には固定協力者を装ってニセ領収書を作成する者の名前も記載されていて、この場合は電話交換手の○○嬢が、継続してニセ領収書を作成していることが一目瞭然に分かる。きわめて有効な手段であった。

 幹部が飲み食いした分は領収書の金額が大きすぎるので使うことが出来ず、白地の領収書に金額を小分けして誰かに記入させ処理した。個人に振り込まれるはずの日額旅費なども、もなぜか現金でまとめて受け取るようになっていて、ピンはねして裏ガネにした。

 さまざまな方法で作られた裏ガネは、所属のナンバー2が現金で保管していた。そのことは皆が知っていた。釧路署防犯課長時代には毎月5〜7万円の裏ガネを受け取っていた。内2万円を上司に上納し、部下にも分け、飲み食いした後のタクシー代などに使った。上司の引越しの手伝いに年次休暇を取ってかり出され、金をもらうということもあった。

 斎藤の話は尽きなかった。
  しかし、その真実性を疑うという雰囲気は少なくとも満員の傍聴席にはなかった。それほどに、斎藤の話は説得力にあふれていた。
  証言の最後に斎藤は、33年間、ニセ領収書の作成を拒み、組織の恥部を公表した仙波に対する県警の「配転」処分等の対応について
  「異端視、白眼視し、孤立させ、いたたまれない状況に追い込むのは警察の常套手段だ」と述べた。

 尋問の中で原田は、弁護団が示した平成15年度の、ブロック別監査室長会議記録、愛媛県警会計課作成の検査・監査の想定問答集などについて「これは警察庁が検査・監査に備えて各県警を指導した文書だと思う。裏ガネ問題が全国共通の問題であることを示している」とも述べた。また、斎藤は、自らの手元にあって、証拠として提出した「全国会計検査院実地検査実施状況」という文書を示し、「警察庁が都道府県警に検査の実施状況を調査し、次にどこで検査が行なわれる可能性があるかを知らせ、その準備を促したもの」とし、全警察がこのような形で「情報を共有している」と説明した。「会計検査院の検査には上も下も神経を尖らせており、検査情報は大切。検査前には警察庁が事前の監査をするが、要は練習させるんですね、ボロを出さないように」と答えている。

 ちなみに、原田に示された書類は一昨年、共産党愛媛県委員会に匿名で届けられたもので、ブロック会議メンバーの山口県警・本部長は議会答弁でその真実性を認めている。

 不思議なことに、この種の重要情報は、他の政党にはまず届けられたことがなく、自民党にマシな情報が届いたという話などは、ついぞ、聞いたことがない。結局、本当に不正を是正してほしいという“告発者・通報者”は、どの政党がどっち向きで、誰を頼るべきかということをよく知っているということになるだろう。政党の真価はそんな形でも問われるということなのだ。

 2人の証言で、都道府県警が同じ問題を抱え、検査・監査に足並みをそろえて対応し、足並みをそろえることによって、必然的に不正が同じ構造を持つことになるということがよく分かる。
  検査・監査が、犯罪といってもよい、この不正を暴くことが出来ない理由は、「捜査上の秘密」という虚構をヤスヤスと容認し、目の届かない「聖域」を作らせて書類不開示を許してしまっていることにあるが、もうひとつの理由は警察側が巧妙な書類操作をしていることにあるという事実を斎藤証言は明らかにした。書類の表面をなぞり、形式的に整合性だけをチェックする従来の検査手法は、完全にウラをかかれているのだ。

 この日は3人目の証人として県警側の、仙波の所属している生活安全部の前・部長の上甲保男も出廷した。上甲は直属上司の地域課長・木下弘明が配転発令日に休みを取った(仙波には配転に反対でズル休みと伝えたが、県人事委員会尋問では否認した)ため、配転を事実上発令したが、後に内示だったと前言を翻した。その上甲は、仙波の告発は事実か、どうかと問われ、「事実でない。ウソだと思う」と答え、「ウソなら、どうして処分を受けていないのか」と問い返されて、答えることが出来なかった。

 9月26日には、前・県警本部長の粟野友介と仙波の同期で松山東署長に上り詰めた二宮義晴が出廷した。県警OB会(警友会)の幹部がどっと傍聴に押しかけ、一般傍聴者多数が傍聴の抽選にもれた。おそらくかり出されたのだろう、退職後も強い絆で結ばれた「警察一家」の姿を見る思いであった。切っても切れない絆のひとつが、裏ガネであろうことは想像に難くない。この「動員」がそれを示しているようだった。

 粟野は、警察庁に仙波の告発を速報したことをすったもんだの末に認めたが、仙波の告発の動きにほとんど関心を払わず、特段の指示もしていないと、およそ信じられないことを口にし、官僚的頑強さでそれを言い張った。
  尋問の成果については弁護団でも評価が分かれた。
  一方、二宮は告発前夜に仙波の告発を物理的に阻止することを主張したという木下証言を否定、仙波を人格的に攻撃し、同期生である仙波をして「どうして、平気でウソをつくのかなあ」と嘆かせた。
  二宮の父親も警察官で、実直な人物だった。息子を自慢にしていた。二宮はその父親をとうに追い越し、ノンキャリア最高ポストに、あとひとつの所に立っていた。出世は時に裏切りの代償とも言われる。誠実であることを求め続けた仙波には、二宮の心境は理解できなかったのだ。
  その二宮は、告発前夜に仙波を説得した目的を「真意をただすため」と主張しただけで、一体仙波が何を告発しようとしているのかを問いただそうとはしていないことが証言の結果として示された。
  仙波は告発前夜に二宮ら3人の上司・同僚から、告発を思いとどまるようにとの説得を受けているが、不思議なことに3人が3人とも、仙波が何を告発しようとしているのかに疑問を抱かず、問いただすこともせず、深夜までただ説得を続けている。それは、裏ガネ問題が、いまさら争うことのない事実、つまりは県警内部では周知の事実であったことを雄弁に物語っているということになろう。

 証人尋問は12月12日まで続く予定だ。主に県警側証人の尋問が続くことになるが、何が話されるかは容易に想像できる。県警側証人は、仙波の人格、勤務振りにケチをつける姑息な手段を弄するだろう。課長・木下の判断による課内配転を主張し、本部長、ましてや警察庁の関与は決して認めないだろう。裏ガネ問題にもシラを切り続けるに違いない。
  しかし、5日の原田、斎藤証言の持つ説得力を上回ることはできない。2人の証言は傍聴者全てを納得させるほどの説得力に満ちていた。2人には、尋問中に何度も傍聴席から拍手が送られ、すぐ後に証言台に立った上甲には気の毒なほどに手厳しいヤジが浴びせられた。裁判長はほとんどそれを制止することなく、なすがままにさせた。異例の成り行きだった。

 仙波の告発は、不正の輪郭をクッキリと浮かび上がらせた。しかし、不正の実態を明らかにすることは出来なかった。なぜなら、仙波は一度も不正にかかわっていないからだ。原田は道警最高幹部にあった立場で大局的に、斎藤はまさに裏ガネ作りに直接かかわった立場で、仙波がどうしても説明しきれなかった空白部分を、余すところなく、証言で埋めた。仙波の告発にウソ偽りはない事が明らかにされた。少なくとも傍聴した人は皆がそう思ったに違いなかった。
  裁判の行方は、もちろん知る由もない。しかし、その成り行きを、手を合わせて見守るつもりは僕にはない。裁判は法的秩序を保つという社会的使命があり、その使命を全うするために何をなすべきかは、自ずから明らかだからだ。

(次回、最終回)


 

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