今日の食事を心配する人が一人もいない国、明日の病気を心配しないですむ国、老後の生活の不安を持たなくてすむ国、みなが活き活きと働いていける国、失業の苦労をいつまでも続けなくてよい国、子供たちの元気な声が聞える町、活気のあるお店の並んでいる通り、つまり、安心と信頼と調和で人々が共存を実感できる国、それを支える経済力と国民のエネルギーと倫理感のある国こそ明日の日本の姿であってほしい。今の日本の経済力はその道を歩みうることを確信してほしい。いや、さらに世界の貧困、飢饉、疾病の滅亡のためにも、この国の経済力を役立てることができるし、またそのように努力すべきだ。
IV 9条がつくる21世紀日本のかたち ―P160〜161―
企業のイノベーションとは、利益の極大化を実現することではない。最良の商品を作り、最適のマーケットを見つけ、顧客に最大の満足を与えうるような経済体のあり方を追求することであり、経営者と従業員が力を合わせて追求すべき課題である。雇用形態をメチャクチャにして出来るものではない。最近の若者がニートやフリーターになるのは本当に彼らの意思だと思っているのか。リストラを強行し、とにかく人件費を低くしたいと奇妙な競争をやってきた大企業の経営者は心の痛みを感じていないのだろうか。
IV 9条がつくる21世紀日本のかたち ―P162―
かつての生徒たちは七二歳になる。政治家、行政官、財界人、医師などとして立派な実績を残した人たちだ。
しかし私自身は昔の新制中学の社会科教師に戻っていた。戦争で肉親を亡くし、焼跡に住む生徒の顔で皆は聞いていた。啜り泣く人もいた。この生徒たちに六〇年前に残した言葉は"戦争のない国"で生きて行くしあわせであった。
六〇年後の最終講義では"二度と戦争をしない国"を守ってほしいであった。
IV 9条がつくる21世紀日本のかたち ―P170―
しかし「改革なければ成長」なしと、成長を目的とする規制緩和を追求するようになってからは、視点は大企業、大資本に移り、小企業、地方資本の切捨てにつながっていった。
そもそも規制緩和とは権力からの自由を意味するものであるにもかかわらず、大企業に視点を置くならば、全く逆に、大企業の権力への自由になってしまったのである。
全てを自由競争下で効率のみを評価して成長を図る……これで中小企業や地域企業がどう生きのびていけるのか。全く強者の論理そのものと言わざるをえない。
V 日本とアメリカの価値観は違う ―P185― |