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2000年09月号/第100号  [特集]    

宮廷料理から庶民料理へ 豚肉と昆布の出合いとチャンプルー魂がうみだした絶妙の食文化
北海道と沖縄を結ぶ昆布ロード

  日本列島を南北に3千キロメートルも離れた沖縄と北海道は、思いのほか古い時代から交流がありました。伊達市の有珠10遺跡では、続縄文時代(7世紀)のものとして沖縄近海でしか採れないイモガイやゴホウラの貝輪(ブレスレット)が発見されています。むろん直接の交流ではなかったにせよ、当時の人びともはるか南の島の人びとの生活や文化を意識した暮らしをしていたかもしれません。
 沖縄との交流がとくに進展したのは、17世紀に北海道の特産品である昆布が北前船で長崎に運ばれ、薩摩を経由して琉球王府に渡ったときからです。はじめは中国への進貢貿易品や宮廷料理の食材として取り扱われ、やがて庶民の食膳にのぼり、沖縄の食文化に欠かせないものとなりました。この昆布が渡ったルートを「昆布ロード」と呼びます。北海道の函館では、この昆布ロードがもたらした食文化を再検証することで、新たな交流と地域活性化の活動が進んでいます。

全国生産量の90%を占める北海道の昆布は「仙薬」?

周囲を3つの海に囲まれている北海道は、ほとんどの沿岸で昆布が採取され、全国総生産量約3万トンのうちの90%にあたる2万7千トンを道内で生産しています。

イメージ(昆布ロードと北海道昆布の種類)
昆布ロードと北海道昆布の種類

7~8世紀ごろ、松前沿岸で採取したものを「軍布」という名で朝廷に献上したという記録が『日本書紀』や『続日本紀』に見られます。もっと古くは、紀元前200年ごろ、秦の始皇帝の臣下である徐福は皇帝から蓬莱島の不老長寿の仙薬を探すように命じられて日本に渡ったという伝説があり、その仙薬が昆布だったという説もあります。そのころの中国では、自国で採取することがなかった昆布が霊薬として貴重なものと考えられていたのです。

ところで、「昆布」という名は、南方系アイヌ語の「クンプ」が語源だというのが定説です。中国語には紀元前820年ごろの古文書に「綸布(くわんぷ)」という名で昆布らしいものが現れているといわれ、わが国でも『万葉集』の中に「軍布」がいくつか登場します。のちに沖縄に昆布が導入されたときは、すでに「昆布」という文字が用いられていましたが、その文字を沖縄の人は「クーブ」と発音し、現在にいたっています。いずれも、語源のアイヌ名ときわめて類似しているのは興味深いことです。

中国との進貢貿易の貴重な商品だった昆布

イメージ(青々とした刻み昆布を販売している沖縄の惣菜店)
青々とした刻み昆布を販売している沖縄の惣菜店

7~8世紀ごろ、松前の昆布は東北・北陸に渡りますが、近世の初めごろには北前船の登場によって、昆布は大阪へ渡り、塩昆布その他の加工製品がうみだされ、日本の食文化の重要な食材となります。その一方で、長崎を中継地とした中国貿易品の俵物(北海道産の煎海鼠(いりこ)・干鮑(ほしあわび)・鱶鰭(ふかひれ)につぐ諸色(しょしき)(海産物類)の花形商品であり、やがて銀に代わる対価商品となって中国との交易品に大きな役割を果たしました。

そんななかで、沖縄の商人も富山の置き薬商人などを介して、あるいは直接関西の堺港で船取引などを通じて昆布が扱われるようになり、やがて進貢貿易品として沖縄から中国へ持ち込まれるようになりました。

「沖縄の存在は、7世紀から8世紀にかけて『日本書紀』などに登場しますが、大和とは別の歴史をたどり、12世紀ごろまでの消息は途絶えていました。しかし、按司(あじ)とよばれる族長的勢力が台頭し、やがて琉球王国が成立する14~15世紀ごろには、遠くシャム(タイ国)、マラッカ、パレンバン(スマトラ島南東部の商業都市)、ジャワ(インドネシア)などの東南アジア8カ国、明国(中国)、朝鮮とのあいだに大貿易時代といわれる活発な海上貿易が展開されていました。しかし、このころはまだ昆布は入っていません」と語るのは、那覇市歴史資料室室長の田名(だな)真之さんです。

イメージ(田名真之さん)
田名真之さん

「沖縄には14世紀に豚肉が導入されました。しかし、豚肉が頻繁に食べられるようになるのは18世紀。ちょうど、昆布が入ってきたのとつながっているように思います。沖縄での昆布の使われ方は、汁もの、煮もの、炒めものなど、ほとんどが豚肉とのセットです。はじめは中国との進貢貿易で、琉球から中国に持って行く商品の一つでした。というのは、1685年に幕府は銀流出を抑えるために長崎貿易制限令を公布したため、長崎貿易の諸色(しょしき)(おもに昆布)にならって琉球でも対価商品として昆布を取り扱うようになったのです」と、田名さんは話をつづけます。

「琉球は、1609年に島津藩の武力侵攻をうけて薩摩の支配下に入りますが、中国との冊封(さっぽう)(皇帝から冊書をもって諸侯としての官爵を授かること)と交易は認められていました。中国側からの指定港である福州(福建省の省都)には琉球館(琉球の出先機関)が置かれ、古い時代は南京へ、のちには北京まで使節団を整えて皇帝に表敬していました。そのときに、琉・ゥらは昆布を献上し、皇帝からは絹織物などを賜っていました。同時に私貿易も盛んにおこなわれ、食材に敏感な中国人は昆布を貴重なものとして好み、琉球側は薬草などを買い入れ、大きな利益をあげていました」。

しかし、明治になると新政府は“琉球処分”といわれる政策によって1872年(明治5)に琉球国を琉球藩に改め、1875年には清国(中国)への使節派遣と冊封の廃止を命令。15世紀から19世紀にかけての500年間にわたってつづけられた琉球王府と中国の交易は断絶させられることになりました。そして1879年(明治12)、明治政府は武力を背景に琉球王国の廃止と沖縄県の設置を宣言し、琉球王国はついに滅亡したのです。

沖縄では豚肉と昆布の出合いで絶妙の食文化が生まれる

全島が海に囲まれている沖縄には、海藻類が豊富です。むろん海藻も食べていますが、昆布の多食ぶりは圧倒的です。

では、沖縄ではいつごろから、どのようにして昆布を食べてきたのでしょうか。沖縄の食文化の特徴や歴史的変遷を研究している琉球大学教育学部教授の金城須美子さんは、その前提に豚肉との関連を挙げます。

イメージ(金城須美子さん)
金城須美子さん

「沖縄の食文化は肉食文化で、稲作文化圏に共通の寿司(すし)がないなど日本の文化とはかなり異質なものがあります。きわだった違いは、仏教思想に基づく肉食タブーがないのでイノシシや家畜のすべてが食用にされました。18世紀以前は一般庶民も冠婚葬祭には牛を屠殺してご馳走を作っていました。しかし、琉球王府の奨励によって養豚が盛んになるにつれて牛肉料理はすたれ、豚肉料理が発達しました。沖縄での豚肉の活用は見事で、肉に限らず、面皮、頭、耳、舌、内臓、血液、豚足、ラードにいたるまで余すことなく利用するのです」。

「ちょうど、そのころに昆布が沖縄にもたらされ、豚肉と昆布の出合いが味覚や栄養価に絶妙の組み合わせを生みました。うまみ成分である昆布のグルタミン酸と動物性食品のうまみと豚脂の相乗効果で、多種類が融合した濃厚な味をつくりだしています。沖縄料理は豚肉なしには成立しないといっても過言ではありませんが、昆布は行事食によく使われ、昆布なしでは行事食の献立が成り立たなかったのではないかと思われるほどです」とも言います。

17世紀後半の文献には、留学や奉仕、通訳として中国へ赴くときに国王や王妃から餞別として昆布が下賜されたという記録があり、数量がわずかなので昆布は貴重品だったことがうかがえます。また、冊封使の記録には昆布が酒宴の席に用いられたとあり、御冠船(うかんしん)と呼ばれる船で来訪した冊封使へのもてなし料理としてすでに昆布料理があった、と金城さんは推定しています。

「中国との一般貿易が盛んになった18世紀半ばには、昆布は庶民の食生活に浸透し、必需品になっています。沖縄が買い入れる昆布は、だし昆布などの高級品ではなく、釧路・根室産の長昆布、日高の三石昆布など葉が薄くやわらかな惣菜用の昆布です。とくに、収穫前に早生のため間引きされる根室沖貝殻島の棹前昆布は、その80%以上が沖縄で消費されています」。

「沖縄では、もともと獣肉や魚介類、野菜類をいっしょに煮込んで複合的な味をつくりだす調理法が主流で、しかも亜熱帯気候のなかでも保存がきくよう、なんども煮返しの料理でなければなりません。そのため、煮くずれやぬめりの出る素材は好まれないのです」とのことです。

だしは取らず、直接食べる献立が豊富な沖縄の昆布料理

イメージ(大田英子さん)
大田英子さん

那覇市国際通りで郷土料理の店『びん殿内(どぅんち)』を経営している大田英子さんは「昆布は、お祝い事の肉料理や汁ものには必ず使うので、どの家庭でも常備しています。沖縄では、だしを取るだけの使い方はせず、乾燥された昆布を水で戻し、用途によっては結び昆布をつくり、ゆっくり茹でて下ごしらえをします。沖縄の惣菜店では、生昆布や刻み昆布、巻き昆布などいろいろなものが半製品の形で売っているので奥さんたちは夕食の食材に買って帰り、さっと炒めたり、お汁に入れたりして食べているようです。沖縄料理は仕込みに手がかかるので、最近は家庭で作ることが少なくなりました」と語りながら、沖縄の家庭でつくられる昆布料理のいくつかを紹介してくれました。

イメージ(クーブイリチー)
クーブイリチー

クーブイリチー(昆布の炒めもの)=長い昆布はカットしてさらに刻んで茹でます。そこへ千切り大根とラフテー(豚肉の皮付き三枚肉)を豚骨、カツオの素だしでコトコトと煮ていきます。

イメージ(クーブとイカの味噌炒め)
クーブとイカの味噌炒め

クーブとイカの味噌炒め=地元産のイカを味噌仕立てで炒めた家庭料理。最近はサラダ油で炒めます。ラードは、おいしいのに使われなくなりました。

 クーブマチ(昆布巻き)=地元の魚を昆布で巻いたもので、お祝いや客のもてなしのときに作ります。

イメージ(煮付けもの)
煮付けもの

煮付け=三枚肉、沖縄のかまぼこ、沖縄の豆腐、コンニャク、大根、トウガン、ニラや青菜などを取り合わせて煮つけます。

 炊き込みご飯=キクラゲ、ニンジン、椎茸、昆布を入れて炊ォ込みます。

イメージ(沖縄そば)
沖縄そば

沖縄そば=麺の原料は小麦粉で、平打ちうどんに似ています。函館の昆布フェスタで、三枚肉に添えて昆布をのせてみたところたいへん好評でした。

 ソーキそば=豚の骨付きあばら肉入りのそばで、結び昆布が欠かせません。

イメージ(足ティビチ)
足ティビチ

足(あし)ティビチ=豚の足をぶつ切りにして大根などと煮込んだ汁もの。豚足と昆布がよくマッチします。

イメージ(琉球王国時代の宮廷料理(写真提供=料亭「那覇」))
琉球王国時代の宮廷料理(写真提供=料亭「那覇」)

このほかに「強壮料理としても名高い琉球料理の最高峰エラブー(薫製のエラブ海蛇)料理も、昆布なしでは作れない料理」(金城さんの話)とのことです。

沖縄の市場の惣菜店では生の刻み昆布やロール昆布が

そうした沖縄の人びとの昆布の消費状況は、公設市場の惣菜店の売り方にはっきりと現れていました。

1998年に沖縄を視察した、北海道中小企業家同友会函館支部(〒040-0022函館市日乃出町29-2 TEL:0138-51-8800)の異業種交流による函館昆布研究会(略称・こぶ研)会長の山村憲司さんは「驚いたのは、水で戻した刻み昆布やロール巻きにした昆布が、生のような状態で売っていることです。しかも、その昆布を買って行く量が半端じゃないのです。刻み昆布なら、ビニール袋に2キロ、3キロと詰めて買っていく。2メートルもあるような巻いた昆布も1束、2束と買っていくのです。まさに、昆布は食べるものなのです」と目を見張るのでした。

「北海道では、昆布を生の状態で売っている店はありません。ほとんどの家庭では、だしを取ったあとの昆布は捨ててしまいます。たまに昆布巻きを作っても、1本か2本食べれば精いっぱい。せっかくの優れた素材を、私たちはまだまだ有効利用していないことを痛感しました」と山村さんは語ります。

イメージ(山村憲司さん)
山村憲司さん

しかし、近年、沖縄の昆布消費量は減少傾向をたどっています。かつて「長寿日本一の沖縄県は昆布消費量も日本一」といわれました。事実、総務庁統計局の調査では、数年前まで那覇市の1人あたり購入量は全国第1位でしたが、1998年は7位、99年は19位とランクを大きく下げています。この傾向について金城さんは、若い世代の郷土料理離れと、行事食の衰退を挙げています。そして、「暮らしに根ざした食文化は、ぜひ家庭に残してほしいのですが」と残念がっています。

中小企業家同友会函館支部が「昆布」をテーマに地域おこし

イメージ(「こぶ研ショップ・昆布よろず屋」)
「こぶ研ショップ・昆布よろず屋」

浜別に格差・等級があり、銘柄が豊富な北海道産昆布のなかにあって、「献上昆布」などとその品質の良さを誇るのは道南渡島半島の昆布です。沿岸一帯では、南茅部町川汲・尾札部などで産する「白口元揃い(断面が白い昆布)」をはじめ、「黒口元揃い」「本場折」など最高級品の昆布を年間1万トン前後を生産しています。その中核都市・函館は、江戸時代から今日まで、その取引と道内昆布加工の中心地なのです。

そこで、1987年にイカをテーマにした地域おこし「イカノポリス計画」を成功させた同函館支部は、こんどは昆布をテーマに取り組み、1998年3月から異業種交流による『こぶ研』をスタートさせて、さまざまな事業を展開しています。

イメージ(首里城を視察する「こぶ研」の一行)
首里城を視察する「こぶ研」の一行

「支部創設25周年の記念事業として地元特産品の昆布を見直し、地域活性化に寄与できればと立ち上げたのです。まずは20人程度で勉強会をひらこうと呼びかけてみたら、参加者が60社を超えました。その後も増えつづけ、現在では90社以上になっています」と、山村さんは会員の熱意と勢いを語ります。

会員は(1)食品加工(2)応用加工(3)料理(4)企画イベント―の4つの部会に分かれ、それぞれに新商品開発や昆布料理の研究、昆布フェスタの開催などに取り組むことにしました。そして、最初に着手したのが、当時、1人あたりの昆布消費量日本一といわれていた沖縄視察だったのです。

「地元ではまったく昆布が採れない沖縄が、なぜ消費量日本一なのか。いつごろから、なぜ北海道の昆布が沖縄へ渡ったのか。どんな食べ方をしているのか、その歴史や食文化を探りたいと思ったのです」。

発足して3カ月目におこなわれた視察旅行には、山村さんら『こぶ研』のメンバー18人が参加し、那覇市国際通りの公設市場での販売状況視察や昆布料理の食べ歩き、研究者から昆布の歴史についての講義などを受けて帰ってきたのでした。

優れた素材に付加価値をつけて新商品開発に取り組む

イメージ(「第1回はこだて昆布フェスタ」開会式の昆布カット)
「第1回はこだて昆布フェスタ」開会式の昆布カット

『こぶ研』の取り組みの一つは、北海道の人びとに昆布に対する知識や認識、関心を深めてもらうことです。その中核的イベントとして、これまでに2回の『昆布フェスタ』を開催してきました。これには、沖縄県や富山県などの中小企業家同友会も協力し、大成功を収めています。今年の『第3回昆布フェスタ』は、9月17日に函館シーポートプラザで開催します。沖縄から郷土芸能エイサーグループ、富山からも民謡グループが応援参加する予定です。

もう1つの取り組みは、新商品開発や昆布料理の創作です。創業120年の歴史を持ち、北海道のレストランの草分けでもある(株)五島軒(本社・函館市)の若山直(なお)社長が、みずからレトルト食品『ヘルシー昆布カレー』を開発しました。

イメージ(若山 直さん)
若山 直さん

「五島軒はフランス料理のレストランです。フランス料理は、どちらかといえば海産物よりも陸のものが食材の中心になります。しかも、フランスの食文化は加工することに主眼を置き、素材に付加価値をつけるという文化なのです。昆布は和風の味ですが、こぶ研の発足を機会に、昆布料理に対する発想をひっくり返し、自分たちの手で地元の優れた産品である昆布に付加価値をつける努力をしてみたのです」と若山さんは新商品開発の動機を語っています。

「昆布にはヨード、カルシウム、鉄分のほかにアルギン酸、食物繊維など、便通を良くし、善玉コレステロールを増やす成分が豊富に含まれています。しかもカロリーが限りなく少ないのです。そこで、カレーには同友会メンバーの昆布メーカーがつくっている結び昆布を入れることにしました。ブイヨンは、コックたちが厨房で食べているものを家庭の惣菜用として作りました。現在、関西や東京圏を中心に約7万箱が売れています。これには、もう1つの付加価値として、昆布ロードを通じて函館がどんな位置に置かれ、どんな役割を果たしていたかを簡単な図解でわかりやすく表示しています。私としては、そうした歴史的なものも含めて、北海道の人、とくに函館の人にもっと買っていただきたいと思っているところです」とも言っています。

イメージ(昆布館で開いたアンテナショップ)
昆布館で開いたアンテナショップ

新商品開発は、昆布入りウインナー、昆布入りアイスクリーム、大福なども誕生しています。『こぶ研』では、これらの新商品に加えて道南昆布と昆布関連商品のアンテナショップ『昆布よろず屋』を8月4~6日まで箱館昆布館で開催し、盛況でした。また、初の試みとして『わが家の昆布料理コンクール』の作品を募集しました。すでに1次審査を終え、昆布フェスタ会場で優秀作の発表と試食会を開催する予定です。

昆布ロードで結ばれた函館―沖縄―富山

イメージ(座間味唯康さん)
座間味唯康さん

『こぶ研』の大きな成果のひとつは、昆布ロードで結ばれた北海道中小企業家同友会函館支部と沖縄県中小企業家同友会中部支部(沖縄市)、富山県中小企業家同友会新川(にいかわ)支部が姉妹提携をして交流を深めていることです。両支部の提携に大きな役割を果たした沖縄県中小企業家同友会副代表理事の座間味唯康(ざまみ ただやす)さんは「沖縄の人は、北海道にとても親近感をもっています。それには、原日本民族である縄文人は沖縄人とアイヌの人たちだろうと思っているという一面もあるからです。そして、南と北の端に離れていながら、両地には、近代・現代にいたっても共通点がいくつもあります。北海道は開拓時代全国から移住者を受け入れて多くの県民性を融合し、ひじょうに開放的な道産子気質をつくりあげてきましたね。沖縄には、いまなお在日米軍基地の75%を押し付けられ、全島民の悲願は基地の縮小・撤去です。ところが、一方で基地反対を叫び、もう一方で米国軍人と友情をもってつきあっているという住民は多いのです。それは、チャンプルー(融合)文化の民族といわれる沖縄人のおおらかさです。そうした共通項が多い沖縄と北海道、その2点の中間点に位置する富山の人たちが、たがいに交流を深めるのは意義あることです。地方の時代といわれる21世紀に向けて、それぞれの地域に根ざした文化を発信していきたいなと思っています」と頼もしく語っています。

イメージ(市街地の中を走る国道58号とフェンス1枚で接している米軍嘉手納基地)
市街地の中を走る国道58号とフェンス1枚で接している米軍嘉手納基地

『こぶ研』の事業は5年間をめどに展開されます。最終年の2002年には、昆布ロードの終着点・中国を訪問する計画です。



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北海道で生産される昆布の種類

昆布の種類は、日本全体で45種類あるといわれますが、そのうちの北海道で採取される食用昆布は次の4種類に大別されます。

真昆布(まこんぶ)=渡島半島一帯、知床半島の羅臼沿岸、利尻・礼文島と稚内沿岸など道内三地域で採取され、結束の仕方から「元揃い」と呼ばれる高級昆布です。渡島や羅臼の昆布は高級加工品向けに、利尻昆布はコクのある「だし昆布」としての優良銘柄です。

三石昆布(みついしこんぶ)=日高沿岸一帯で採取され、だし昆布にも加工品にも人気が高く、採取される浜によって種々の格付けがあります。

長昆布(ながこんぶ)=釧路・根室沿岸一帯で採取され、道内生産量の60%を占めています。三石昆布と同系統ですが、葉が長く5メートル以上にもなります。葉は比較的薄く、昆布巻きなどの加工品に用いられます。

細目昆布(ほそめこんぶ)=日本海側に産し、とろろ昆布など大衆加工品向けですが、生産量はあまり多くありません。


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