昨年11月に自費出版した本のことで、出版の動機は?と、聞かれるたびに返答に詰った。とてもじゃないが気恥ずかしくて「母のためです」とは言えなかった。
しかし、本当のところは75歳でずいぶん気弱になっている母をなんとか力づけたいというのが主な動機であった。
2人の娘の1歳からのおしゃべりの記録を中心にまとめたこの本は、こういう発想の本が巷(ちまた)にあまりないためか予想以上にウケがよく、一時出版フィーバーに沸き返った。
その最中のこと、すかし模様の和紙に、毛筆でしたためられた封書が投げ込まれた。
同居の姑(はは)からの手紙だった。
いかにも姑らしいやさしさにあふれた内容で、こういう心憎いほどの心遣いをさりげなく出来る姑と暮らす幸せをしみじみ感じたのだった。
その後また、ぶ厚い封書。こんどは母からだった。
本を受け取ったその夜は、感動と興奮のため寝られなかったとか。母も若干登場するため「75年間生きている証しをみたようで」「お母さんの姿がこの世から消えても、この本のなかで生きているような気がしました」など、巻き紙にふさわしい毛筆で、それはそれは長い母からの手紙。私の思惑はみごとに当たり、母をこんなに感動させ、力づけたのかと、我れながら“やったね”の心境だった。
ところが最後の文章を読み、逆に私のほうこそ母から大きな励ましと強い力を与えられたことを思い知らされた。
そこにはこう書かれていた。「今年は保母20周年、言葉ではやさしいことですが、この歳月は生まれた子が成人することで、その過程は大変なもの。特に子育てと家庭と両立させ、そのうえ今回の出版、このうえもない立派なこと。諸々のことでお母様は百子を心から誇りに思います」
その後の母は、お陰で非常に元気である。