ウェブマガジン カムイミンタラ

1987年07月号/第21号  [ずいそう]    

伊達びいき
守 和彦 (もり かずひこ ・ (株)ダテハキ社長)

私の生まれは道南の伊達市ですが、3年前から札幌で暮らすことが多くなりました。

去る5月のゴールデンウィークに、友人の家族が潮干狩りがてら伊達の家に遊びに来てくれました。折しも伊達は、テレビの『伊達政宗』ブームのお陰で何かと話題になっていることもあって、私も喜んで、早速伊達市内の案内と相成ったしだいです。伊達市は、明治3年、伊達成実を先祖とする仙台亘理(わたり)藩主・伊達邦成(だてくにしげ)が移住、開拓していらい百十余年。私の祖先も開拓のお伴をして移り住み、私が5代目になります。

邦成公ゆかりの品々が伊達開拓記念館に展示されており、往年の栄華と先人の苦労を垣間(かいま)見ることができます。この日は祝日とあってたくさんの見学者が訪れており、私もちょっぴり誇りを感じました。

そして次は、亘理藩移住の第一歩を記した有珠善光寺に行き、新しく葺(ふ)きかえた茅葺(かやぶ)きのお寺で、隠れキリシタンの石碑があるのを見て、その苦難の道に思い馳(は)せました。

雨がやんだ夕方、チャランケ岩のある浜辺で潮風の歓迎を受けながら、カニやツブ取りに夢中の子どもたちの声を聞きながら、今日あるのも何代にもわたった先祖の苦労のお陰と、感謝の気持ちが湧いてくるのでした。

さて次の日は天候にも恵まれ、10年前に大噴火した有珠山へ登山バスで登り、地表すれすれのマグマの勢いと、昔は緑深かった樹林が丸裸になった有様に、自然の驚異を感じずにはいられませんでした。

そのあとの潮干狩りでは、張り切ったわりには収穫があまりなく、一同やや拍子抜けの面持ち。その足でアイヌの人びとにキリスト教の伝導に努めたバチェラーゆかりの教会を通って、塩分の濃い伊達温泉で身を温め、一気に飲み干したビールの甘さは格別でした。

夕闇(ゆうやみ)せまるころ、東山山麓で7年前から窯(かま)を開いている柴山勝氏の繊細で淡彩色の個性豊かな器に豊かなぬくもりを感じたあと、アスパラやほうれん草畑の間を縫ってカトリックのカルメル会修道院の前を通り帰路につきました。

久し振りのわが故郷の案内に、新発見とお国自慢もずいぶんとあるものだなと感じ、ますます伊達びいきになった自分でした。

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