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1988年11月号/第29号  [ずいそう]    


中山 素水 (なかやま そすい ・ 北海道立図書館館長)

JRの廃止路線でその去就が問われ、揺れている天北線沿いの国道275号線を、道立図書館の移動図書館車で通り過ぎた。

稚内方面から浜頓別を過ぎると海岸も尽きて、音威子府までは畑以外は森か林かという、山間にたんたんと続く一本道で、時々忘れたころに人家や集落が現れる以外は、単調な国道をひた走る。

私は15歳まで、沿線の小頓別で生まれ育った。一木一草にそれなりの想い出は残っていても、当時はその風景の素晴らしさをめでるほどの観賞眼はなかった。

また、40余年の間に、いくどか古里を訪れても、低いシートで視界の狭いマイカーか、これもあまり前後がよく見えない列車から、風景を垣間見る程度。ゆったりとして、しかも高い位置から次々と繰り広げられる視界は、まるで泰西の名画をパノラマにでも見るようで、飽くこともなく見ほれさせられた。

私は最近2年ほど、道立近代美術館に勤めた。

知らずしらずに美しいものに対して、自然に見る目が出来てきているように思う。昔のイモ、麦、甜菜などの畑作主体の農業から、すでに酪農を中心とした牧草、サイロ、牧舎などに囲まれた産業構造に変化してきていても、古里の山も、川も谷も、昔のままのたたずまいを残したままで、こんな素晴らしい景観の中で少年時代を送ったのだなあと、しみじみ感じさせられた。

過疎の中での都市化現象がいわれているが、バスから見た限りでは、もう何年も、時計の針が止まってしまっているような気がした。

私は札幌生まれや、東京生まれの人たちと比べて、内心、自分は幸せだと思っている。それは、私には真の意味の心の古里があるということである。

私を育ててくれた古里が、利便さはともかくとして、いつまでもその風情を残し、私の心の古里として生きていてくれと願うのは、私のエゴイズムというべきなのだろうか。

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