ウェブマガジン カムイミンタラ

1988年11月号/第29号  [ずいそう]    

永山岳讃ありがとう
池上 恵三 (いけがみ けいぞう ・ 札幌大谷短期大学教授)

生まれが信州は松本だから、朝日は東山から顔を出し、夕日はぎらぎらと輝きをのこしながらアルプスに別れをつげる様を毎日見て育った。

高校仲間にはけっこう山登りの達人がいたから、知らずしらずのうちに山に親しんだ思い出は、いまだに昨日の出来事のように網膜によみがえる。白馬岳の雪渓の冷ややかさや、お花畠と青い空など、なにごとにもかえがたいロマンはいつも心を洗い清めてくれる。

縁あって北海道で歌ったり教えたりしているが、山登りとはとんと疎遠になってしまった。なにしろ、こちらの山はでかくて、とりつくまでが遠くて、よじ登るのには日数がかかり、山小屋が完備していないから、気軽に登るわけにはいかないからだ。あの重い荷物をかついでいかねばならぬと思うと、気が重く、第一体力に不足をおぼえるからだ。せいぜいニセコの山を歩き、露天風呂で山男の話に調子を合わせ、昔の思い出にうさを晴らしているこのごろであった。しかし、思えば25年も札幌に住みながら、藻岩山と手稲山しか知らないのでは、申しわけが立たないと思い返し、今年はとにかく登ることにした。

どこでもいいのだが、手始めに北大雪は「永山岳」を選んだ。数年前、愛山渓温泉で出会った山男の話が思い出されたからだ。「頂上近くにすばらしい水があるから、手ぶらで行けますよ」と、いとも簡単な話しぶりなのである。

その明水「銀明水」にひかれてついに意を決した。少し大げさで恥ずかしいが、なにしろ山らしい山は高校時代から数えて35年ぶりである。登り出しがきつかった。心臓の鼓動がこめかみをつき上げ、血圧が一気に上昇したのがわかる。しかし沢にそって登ると間もなく「昇天の滝」、また少し行くと「村雨の滝」とけっこう楽しく、滝の上分岐では一面に咲く谷地ぶきに見とれ、しばし休止。再び目下に広がる「沼の平」を眺めながらの登りは少しきついが、木々の変化と共に楽しい登りだった。

やがて雪渓が見えてきた。本日の目標である永山岳の頂も見える。そして水の音を聞いた時の喜びは、これまた表現に苦しむばかりだ。そのうまかったこと、喉をうるおし、体を清め、さあ頂上めざしてあとひと息。切り上がった岩だらけの永山岳よ、私に自信を与えてくれてありがとう。これからどんどん山へ登ろう。そうだ、きょうもこれから紅葉の十勝岳へ出かける時間だ。急がなくちゃ。

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