宇宙の誕生は、一点に集中した巨大エネルギーの大爆発(ビッグバン)によるといわれているが、なぜそのような状態ができたか、また生命の起源などは神秘でわかりません。宇宙には地球と同じ条件にある星は1千億もあるというから、人間のような生物の存在は地球のみに限りません。
太陽系の惑星やその衛星、あるいは彗星の尾から、有機物の構成元素(N、O、H、C)などが発見されています。これらの元素と太陽エネルギーによって食料や燃料を合成する可能性があり、スペースや月や火星に作られる基地で自給自足できるようになるだろう。このような宇宙探索や研究は、地球の環境悪化により人類が地球脱出を試みる時代の予兆のようでもあります。
ビックバンによる宇宙創造の過程はまことに精緻巧妙で、最適対応の意識の下に制御されているように思われるのは全く不可思議であります。
“世間”とは世の中と間(ま)の意味で、間には時間と空間があり、それらの相対的関係で規定されるのが世間であります。一方、浄土や天国などは宗教でいう死後の世界で、時空のない絶対不変のところで「常世(とこよ)」または彼岸といわれ、宇宙の自然の姿と見ます。古典文字において「自然のとき」とは、武士が主君のため死ぬときを意味します。
宇宙の創造には光が重要な役割を演じておりますが、ビッグバンも、暗黒の宇宙空間を貫通して閃めく光を連想させます。旧約聖書の創世紀によれば、はじめに神は天と地を創造され、その混沌とした暗黒の中に、神は「光あれ」と言われた。この暗国を貫通してひかる光の中に命が与えられ、こころが生ずることになり、その後7日間に人間をはじめすべてのものが造られた、とあります。ここの1日は神の国の時間で、この世の時間とは全く別のものであります。
このような考え方は仏教でも似ていて、宇宙の中心には仏とその霊があり、生物はすべて仏の子であるという。念仏のナムアムダブツのナムはアーメンと同義語で、古代インド語のナモー(誠に、平伏しますの意)に由来しています。アムダブツは無量の光、無量の命という意味であるとのことです。
宇宙は間違いなく人類のふる里であり、あこがれのところでもあります。