ウェブマガジン カムイミンタラ

1990年01月号/第36号  [ずいそう]    

偶感
木下 順一 (きのした じゅんいち ・ 作家、タウン誌編集長)

還暦を迎えなければ、人は死に向かって歳を取るということは理解できないかもしれない。私もそういう言葉が、よく判るような年齢になった。今年は馬年だから、私も61歳になるが、60年という永い、そしてまた短い歳月は、この170糎の肉体のなかに、どのように凝縮されているのだろうか。

人間は幸か不幸か、肉体だけで成り立っていない。精神というものがあって、この精神は肉体と一緒に歩かない。肉体は衰えるが、精神はいつまでも20歳の頃の、思考の姿を保ち、さらにその頃の考えや思想を、具体的に証明し、展開しようといまなお活動を続けている。

精神と肉体と、その差異の狭間にいるのが60歳という年齢で、永遠に若々しく、衰えまいと思考する精神が、生理的に、物理的に衰えていく肉体を眺めながら、ある日、切実に、人は死に向かって歳を取るということを知るのである。いくら精神が若さや強さを誇ってみても、器である肉体が滅びると、精神もまた死ぬしかない。

私は、霊魂は不滅と思っていない。死ねばどうなるか判らない。私の存在は、数人の人に記憶されて残るだろう。その先は判らない。しかし、私は言葉だけは信じている。すべては過ぎ去るが、言葉だけは残る。私の言葉は残るかどうか判らないが、地球人が死にたえても、自然の緑と、人類の言葉は残り、宇宙人が来て、探知器で地球の地質をさぐっているうちに、かつて考古学者がそうであったように、彼らもまた、何かに記された地球人の文字に出会うだろう。そうして、それには、デルボイの社のように、「汝自身を知れ」と書いてあり、そこで地球人の奇妙な文字を解読した宇宙人は、地球人とは考える人間であったと知るだろう。

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