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1992年11月号/第53号  [ずいそう]    

箱館のロシア人からの手紙
中村 健之介 (なかむらけんのすけ ・ 北海道大学言語文化部教授)

3年前、ペテルブルグ(旧レニングラード)の神学大学の図書館で、古い雑誌の中に1通の公開の「手紙」を見つけました。題は「日本もまた稔りは多い―箱館のロシア人からの手紙」、日付は「1868年7月15日」、箱館戦争の11ヵ月前。

手紙の著者は函館のハリストス正教会や東京神田のニコライ堂によって知られる日本ハリストス正教会の創建者、ロシア人宣教師ニコライです。

この手紙には、箱館の町の印象、日本人の知的教養の特徴、キリスト教に対する日本人の恐怖と密かな関心、日本語学習の苦労など、興味深い記事がいろいろあるのですが、注目に値するのは、ニコライの来日の意図がここに明言されていることです。

「8年前、わたしは当地の領事館付き司祭の職につきたいと申し出たが、それは宣教の目的をもってのことだった。週に1度〔領事館員のために〕ミサを執り行う、ただそれだけのために、神学大学の学籍を捨ててここまでやって来ようと決意する者が一体どこにいるだろうか」。

ロシアにおいて安定した聖職者の将来を約束されていた23歳の神学大学生ニコライが、なぜその平らかな道を捨て、シベリアを横断し、海を渡って極東の異教徒の島へやって来たのか。日本人への宣教の決意が最初からあったのです。

手紙にはニコライより後れて箱館にやって来たカトリックの宣教師2人が、箱館の町の人々に徐々に接近していく様子もユーモラスに描かれています。

「かれらは黒い僧服を着て、人の機嫌をとるようなもの静かな足どりで、顔にはもったいぶった表情を浮かべ、目は何かあればいつでも天を仰ぐような風で、散策のたびに、機会をのがさず日本人に話しかけ、立派な神様を見せて進ぜるから、わたしどものところへおいでなされと誘う」。

かれらを見ながら、ニコライは1日もはやく自分もロシアから同志を迎えて、宣教を開始したいと切歯扼腕しているのです。

このニコライの手紙の全文は『地域史研究 はこだて』第16号に訳載されます。

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