ウェブマガジン カムイミンタラ

1995年05月号/第68号  [ずいそう]    

オペラの楽しみ
高橋 英郎 (たかはし ひでお ・ 明治学院大学文学部教授)

1989年4月に始まった道新カルチャーセンターのオペラ講座も、今年でいよいよ6年目に入る。

初めはオペラのオの字も知らなかった初心者たちが、『ボエーム』だ、『フィガロ』だ、『椿姫』だ、とLDの抜粋を観るうちに耳も目もこえてきて、もう最近ではちょっとしたオペラ通まで現れている。

ミミ(ミレッラ・フレーニ)の雪の別れは泣かせるとか、椿姫(エディタ・グルベローヴァ)の一途な思いに対してジェルモンはなんて身勝手なとか、マントーヴァ公(ルチアーノ・パヴァロッティ)は憎いけど快感だとか…。終わってビールのジョッキを傾けるころになると、みんな気心知れたオペラ仲間になっているところがいい。

これが、実際の劇場で、しかも言葉がわかったら、どれほど楽しいことだろうか。オペラの楽しみとは、結局、総合芸術のなかに既知の、あるいは未知の人生を生きることにあるのかもしれない。

私は1966年に、鶴田知也の小説『コシャマイン記』を台本化し、石桁真礼生(いしけたまれお)の作曲によって、その秋のN響アワー(芸術祭参加)の1時間番組で放送してもらったことがある。アイヌの英雄コシャマインが、和人(シャモ)の騙し討ちに会い、平和なカムイミンタラを奪われてゆく悲しい叙事詩である。

雄大な羊蹄山(マッカリニプリ)を眺めて、母親シラリカに育てられるコシャマイン―「誰よりも強い英雄に!」という誓いは、和人の酒と煙草と病気に魂(ラムー)の内部から犯されていく同族の腐敗ぶりを前に、沈黙を強いられてゆく。髪の垂氷(たるひ)を引んむしって、言葉を噛み続ける彼の姿を、私は松前や日高や釧路などを歩きながら、何度も想い浮かべた。悲劇のフィナーレには、残された妻ムビナと祈りの女性合唱しか考えられなかった。

私は13年にわたって、日本語によるモーツァルト劇場を主宰し、今年7月には東京で『魔笛』を演出する(21日から3日間の道新ツアーも組まれるので、ぜひ観にいらしてください)。いつの日か『コシャマイン記』も舞台化したいと考えている。

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