ウェブマガジン カムイミンタラ

1995年05月号/第68号  [ずいそう]    

お招きを受けて
畠山 重篤 (はたけやま しげあつ ・ 牡蠣の森を慕う会代表)

誠に畏れ多い話だが、昨年の元旦、私は夢のなかで電話を受け取っていた。「明仁ですが、皇居の庭に梓(あずさ)の木を植えてくれませんか」、というのである。

明仁、皇居…あっと叫んで飛び起きた。天皇陛下ではないか。何を馬鹿な。私は頭を二つ三つ叩きながら、早く起きていたおふくろにその話をした。おふくろはキョトンとした顔をして、夢をみるにも程があると、半ばあきれたようであったが、でも今年はいい年になりそうだね、と笑顔になった。

あろうことか、夢は正夢になった。7月末、私は皇居吹上御所の進講室で、天皇皇后両陛下とテーブル一つを隔てただけで向かい合っていた。そして「森は海の恋人」について親しくお話する機会を得たのである。

歌の素養を求められる皇族方は、言葉には敏感であられるはずだと私は思っていた。

―気仙沼地方は短歌の盛んな所です。落合直文の生誕の地でもあります。私たちは「森は海の恋人」というテーマを掲げ、気仙沼に注ぐ大川上流域に広葉樹の森創りをしております。森は海の恋人というフレーズは、前田透の秘蔵っ子で、森の歌人・熊谷龍子の「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から生まれました―

私は一気にそこまで話をした。両陛下のお顔が前のめりになり、目が輝かれてくるのをひしひしと感じていた。(実は、前田透は歌会始の選者であり、10年前、交通事故で不慮の死を遂げなければ、両陛下の歌の先生をされていたはずなのである)

透の父は、短歌結社白日社を主宰していた前田夕暮であり、夕暮は、気仙沼が生んだ田園歌人・熊谷武雄の歌友であったこと、そして熊谷龍子は武雄の孫にあたることをご説明すると、陛下から「良い言葉は文化の積み重ねによって生まれてくるのですね」というお言葉をいただいたのであった。

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